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小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

思いを伝える心地よさ

「思いを正直に伝えてみて、本当に良かったです。」

 

これは、自分の思いに共感してもらった人のセリフですね。

 

「自分の思いに共感されなかったけど、とりあえず、自分の気持ちを正直に話すことができて良かったです」

 

これを、心の底から言えるようになりたいです。

 

自分の正直な気持ちを伝えるのって、勇気が要りませんか?

 

自分の思いや、考えに共感してもらえないと、自分を否定されたように感じてしまう。

 

自分を否定されることは、自分が安心できる居場所がなくなることに繋がるから、とても怖いのです。

 

こんな風に考えて、自分の思いや考えを発表できないでいる子はクラスでもよく見られます。

 

また、例えば、誰かの意見に対し、反応しない。

素直な自分の反応を見せない。

これも、非主張的自己表現です。

このような自己表現をする根幹には、もめ事を避け、安全を確保しようとする心理。また、相手に合わせているようで、実は相手に甘え、依存している心理も働いているそうです。

 

非主張的自己表現をする人間にとって、自己表現は嫌われる可能性があること。これを、自己主張する人間に委ねる。つまり相手の主張を受け入れる体で、相手に判断を委ね、嫌われ役を押し付けているとも言えるのではないでしょうか。

 

さて、前置きが長くなりました。

早速昨日勉強したアサーションを実践してみたんです。

 アサーション - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

学年の先生と運動会の演技について話をする機会があって、そこで正直に自分の思いを伝えることができました。

 

実は金曜日も学年の先生と運動会の演技について話をする機会がありました。

しかし、ここでは、私が考える運動会の演技の「プレゼン」をしていました。

学年の児童の実態を踏まえ、運動会の演技に取り組む過程でどのような子どもの変容が期待できるか、論理的にただ「説明」していたんですね。

 

そこに、私の正直な気持ちもあることはあるのですが、このプレゼンをしているときの正直な思いとしては、自分の思う運動会の演技にしたいということでした。

もっと言えば、うまく言いくるめようということばかり考えていました。

 

しかし、私の提案はさらりとかわされてしまいました。私の思いに寄り添った形で話を進めてくれたとは思えませんでした。まさしく「うまく言いくるめられた」という感覚でした。

 

しかし、今日はなんと金曜日のことが翻り、かなり私の思いに沿っていただけたと感じました。

 

まあ、傍目には私がごねて、学年の先生を付き合わせる形にもっていったように見えたかもしれません。

が、私は少なくともそうは思っていません。

ちょっと前だったら、それこそ無理に自分の思いを通して、自分はわがままだ。なんて子どもなんだ。と自己嫌悪に陥っていたかもしれません。

 

しかし、アサーションの本で読んだこんな一節が心に残っていたようで、今は清々しい気持ちでいることができます。

 

「人は誰でも自分の気持ちや考えを表現してよい」

 

当たり前じゃん。

と思われるかもしれません。しかし、これが悪とされていませんかね。

感情を押し殺すことが美徳になっていませんか?自分が怒っているとか、悲しんでいるということを表現することは、知性のない行為のように思われてませんかね?

 

もちろん自分の感情の伝え方ってありますけどね。あからさまに不機嫌な顔で、悪態をついたり、大声をだして周りを威嚇するようなことは迷惑ですけど。言語化することはむしろ必要でじゃないですか?

 

「え、そういういじり全然面白くない。っていうか不愉快なんですけど。」とかね。

 

飲み会で調子こいた人に冷や水をぶっかけたりね。これはむしろ周りの人のためにもなるし、その人のためにもなりませんか?

 

話があちこちいってしまいますが、とにかく今日は、自分の正直な気持ちを伝えてみると、話が前進したという手応えがあったんです。

探り探り、相手の意図を慮りながら、自分の思い通りにコントロールしようとするやりとりより、健全で建設的。そんな風に実感しました。

 

案外、職員会議なんかでも、理路整然と目的、現状、課題、対策、スケジュールを述べるより、正直な提案の思いを語った方が通ることもあるのかなと感じました。

人って結局最後に心動かされるのは、理屈ではなく感情の部分だと思うので。

正直な思いを述べるというのは、それだけで相手を感動させる要素を含んでいるようにも思います。