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小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

儀式

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卒業の季節です。

みなさん、小学校の卒業式は覚えていますか?

 

卒業証書授与で、ステージに上がるのに緊張したこと。

生きる!谷川俊太郎!と大声で詩を詠んだ。

 

巣立ちの歌(旅たちの日に)を泣きながら歌った。

 

そして、なにより

「門出の言葉」を泣きながら叫んだ。

 

色々な思い出があるのでしょうね…

 

ーーーーーーーーーー

 

さて、

今日は卒業式の5、6年合同練習。

心地よい緊張感の中、子どもたちは一生懸命、練習に臨んでいました。

その姿勢、表情から真剣さが伝わって来ます。

 

5年生に背中で語っているように思いました。

 

「これが最上級生なんだよ。」って

 

本当に子どもたちの成長に感動しました。

特に、「門出の言葉」で、子どもたちが

一生懸命声を張り上げて、呼びかけをしている

様子に、練習中にも関わらずうるっと来てしまいました・・・

 

 

 

 

 

 ……ごめんなさい。

そんな風に思いたいんだけど…

 

 

 

本音でいうと…

 

 

 

 

門出の言葉」の呼びかけは

超しらける。

 

 

 

なんて、心ない教師だ!

と、怒られそうですが…

 

 

だって教師が言わせてるんだもん。

 

 

 

一人ひとりの思いではなく、

一般化した、6学年の思いでしょ?

だいたい、「門出の言葉」のねらいは何ですか?

 

保護者、来賓、担任以外の教師へのパフォーマンスですか?

 

いや、パフォーマンスだとしても、センスがない。

 

「間をあけて!言葉と言葉の間を1,2とカウントをとって!」

 

いや、そこは子どもにプロデュースさせればいいのに。

ずーっと同じテンポ、同じトーンで呼びかけが続くと単調だし、なにより思いが感じられない。

たたみかけるように呼びかけする部分があった方が子どもの感情の高まりを感じるし、迫るものがあると思うけどなあ…

 

 

儀式的行事はどこまで儀式化するの。

カウントまで数えて、動きをそろえるその理由は?

 

膨大な時間を費やして行われる卒業式練習。


正直、指導するこっちも


かったるい!!


もっとクラスのみんなと授業をしたい。

授業を犠牲にしてまでやる意義があるのかね?

 

 と思ったので、学級通信にやんわり書いちゃった…発信 - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

 

 

そもそも儀式的行事のねらいってなんだっけ?

採用試験の勉強でやったような気もするなあ

 

学校行事の目標って…

学校行事を通して,望ましい人間関係を形成し,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養い,協力してよりよい学校生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てる。

おお、いいこというじゃん!!

行事の目標いいね!

「みんなで協力して、自分たちで学校生活よくしていこうぜ、自分たちで行動しようぜ!」

っていう態度を育てるのね。

大事大事。

 

 

そんな学校行事の目標達成のために、内容はどんなんだったらOKか…

 全校又は学年を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと。

ん?

自主的、実践的態度を養うのに、秩序と変化?

 

だいたい、ここでいう変化ってどんな変化?

日常生活とはかけ離れた、特別感ってことかね?

 

なんか、モヤモヤするけど…

 

まあ、いいや次。

 

行事の中の1つである儀式的行事…つまり卒業式などの内容についてはなんて言ってんの?

1) 儀式的行事
 学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。

 

要するに、節目を意識させるのね。

そのための演出として、厳粛と清新な気分ね…

 

 

んー!?

なんのために?節目を意識させるの?

 

学校行事の目標は、

「人間関係がっつり!

みんなで協力して、学校生活よりよくしてこうぜ!行動してこうぜ!」

 

じゃないの? 

 

まあ、卒業式の練習で、連帯感は生まれるよ。

あんだけ、おんなじ動きを要求されるんだから。

 

「はい、副校長先生が1,2,3,4でお辞儀をしたら、体の向きを5,6で来賓に向けます」

 

だもんね。

 

そりゃあ特別感も感じるよ。

厳粛な空気も生まれるでしょうよ。

 

でも、絶対

「自主的、実践的な態度」は育たないでしょ。

 

いや、まあ卒業式のポジションが

日常生活に変化を与え、節目を意識させて、在校生に、タイムリミットを意識させることが第一義だとしても、そこにコストをかけすぎでしょ。

 

平気で8時間とか、下手したら10時間かけるのは、やっぱりおかしい。

 

払う犠牲が大きすぎる。

 

その時間を、こどもたちが自分たちで、誰かに喜んでもらうような企画を考えてもらうことの方が、よっぽど有意義でしょ。

 

だって、誰かに喜んでもらえる人じゃないと、

生きていけないように、今の世の中はできてるんだから。

 

誰にも喜びを与えられないような人まで救えるほど、今の世の中にキャパはないんだから、そこを鍛えないと。←これはあまりに極端

 

言われたことを忠実にこなす子どもを育てればいいのは、高度経済成長期の話でしょ。

ミスなく、ロスなく、処理する人材。

それが求められたはず。

 

でも今は、ロボットが単純作業を。AIがホワイトカラーの仕事まで肩代わりする。

 

何か喜びを生み出せないと、この先はないはず。

 

そのためには、

やらざるを得ない空気を作るより、誰かに喜んでもらえれば何でもあり。という空気を作る方が先決じゃないのかね。

 

 

あ、ちなみに私…

 

 

こんなに卒業式をdisってるのに

毎年感動して泣いてます。