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小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

やったー次の授業は◯◯だー!!

という子どもの反応。

可愛いですよね。

 

教師のモチベーションを上げてくれます。

 

反対に「うわー、次◯◯かよ」

 

となると、その次の授業は教師のやるきゼロ。

さらに、子どもたちに申し訳ないから強気でいけない。

 

自信もなくなって面白いことを言う余裕もない。

ガチガチに緊張してつまらない授業をしてしまい、さらに子どもたちの授業への期待感をなくしていく、悪循環に陥ります。

 

こういう状況を打破するとき、メンタル弱めの人は多大な労力を必要とします。

メンタルの強い人は、自分の授業のやり方をゼロベースで考え直し、新しい取り組みをしていくのでしょう。

 

しかし、メンタルの弱い人は。。。

 

おそらく何もしません。

まあ、よくて今の自分のやり方をベースに少しやり方を変えてみるくらいでしょう。

それでも状況を打破できないと、あとはもう嵐が通り過ぎるのを待つように、何の努力もしなくなるでしょう。

 

 

この違いはなんなのでしょう。

前向きに努力した方がいいことは分かっているはずなのです。それでも、結果として行動は起こさない。

おそらく、この違いは「勝つまで、続けた経験があるかどうか」ではないかと思います。

単純に成功体験の差と言ってもいいかもしれません。

 

人はリスク回避のために、一度失敗すると次にチャレンジする気力を失います。

そして、確実に勝てそうな時にだけ勝負に出て、少しでも勝率を上げようとします。

そうして行動範囲はどんどん狭まり、自信はいっこうにつかないまま。

なぜ、このように勝率にこだわってしまうのでしょうか。チャレンジしないことには、いつまでたっても狭いおんなじ場所をぐるぐると回っているだけです。それは十分分かっているはずです。

 

「新しい世界が不安」

「挑戦すると失望する」

「今いる場所に満足しててそもそも新しいチャレンジをする必要を感じない。」

 

様々な理由はあると思いますが、きっと共通しているのは1つだと思います。

それは、自分は何を望んでいるのか、何になりたくて、どんな人生を望んでいるのか、そういう具体像が見えていないだけなのでしょう。

 

だからこそ、チャレンジしない。

ようするに、欲がないのです。

 

 

なぜ、自分の欲求を追求しないのか、それは他者の承認を糧に生きてきた証だと思います。

他者の期待を満たすように生きることは楽なものでしょう。

よくいう親の敷いたレールの上を走る。おそらく、いろいろな不満もあるでしょう。それでもレールの上を走っていればとりあえず道に迷うことはない。

その安心感を優先し、自分の欲求を抑えつけることに慣れてしまっているのだと思います。

 

 

教師の多数派はレールを走ってきた人たちでしょう。

 

教育の世界が保守的で画期的なイノベーションが起こらない理由はここにあるのかもしれません。