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小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

人から嫌われても、思うように生きる

あれ、記事の中身が消えてる。

 

ということで、中身をもう一度書きました。

 

ついでに題名も

「人から嫌われてもなんとかなる」

                          ↓

         「人から嫌われても、思うように生きる」

に変えました。なんだか、ロックンローラーに憧れる10代の少年のような青臭い題名になりました。

 

ここで言っていることは、ふと昔前ブームになった、「嫌われる勇気」から引用しています。

 

 

まずは、私自身の体験から、

 

私が初めて担任をもった学年の主任に気に入られることができず、きつい一年を過ごしました。

 

ここでいう「気に入られようとする」こと自体が、他人の人生を生きていることにつながります。

 

 

言うまでもありませんが、人はだれかを喜ばせるために生まれてきたわけではありません。

もちろん、あなたが気に入らないだれかも、あなたを喜ばせるために生まれてきたわけではありません。

 

そもそも、私のことを嫌って、それを態度に出すことで、最終的に責任を負うのは、主任の方なのです。

実際、私と主任の関係を知った先輩の先生は、最初

「それは、ボンベイさん(私のことね)にも問題があるんじゃない」

とはっきり言われていましたが、最後の頃になると。。。

「いや、ボンベイさんは悪くないよ。学年ってチームだしさ」

と慰めてくれました。

 

その先輩に取り入ったわけではありません。

実情を見た時、その先輩自身が判断したことです。

 

結局、私を嫌うことで、学年もうまく回らず、信頼を失うのは、主任です。最終的に責任を負うのは主任なのです。

 

そして、主任が私を嫌うことしかできないのは、主任の課題です。

悪意をもって主任を攻撃しているわけでもないのに嫌われる。まあ、主任にとって私の存在は何らかのマイナス要素だったのかもしれませんが、それは主任の都合です。

 

繰り返しになりますが、それでも最終的に、私を嫌うことによって責任を負うのは、当然私ではなく、主任です。

つまり、私が嫌われるのは、私の課題ではなく、私を嫌う主任の課題です。

 

この考え方を課題の分離と言います。

 

そもそも、だれかを嫌っていることを公言してしまう人って、周りの人から敬遠されますよね。そりゃそうです。

 

今は大丈夫でも自分だって嫌われるかもしれない。そう思ってしまうと、その人と一緒にいる安心感はなくなりますよね。人は一緒にいて安心できる人を最終的に求めます。

 

なんだかんだで、人がいつも周りにいる人って、人の陰口を言わない人じゃないですかね。

 

 

だれかを嫌い、それを態度に出してしまうのは、すごくリスクがあることです。

 

もし誰かに嫌われても、誰かしら味方がいるはず。公に味方が現れなくてもいるはずです。

 

そして、いつまでたっても自分の味方が現れず、居心地が悪ければそんな集団からはさっさと抜け出しましょう。そんなところに我慢してい続ける必要はありません。

 

 

最後に、本文からの引用を。

 

 

自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。

その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは、他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。