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小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

ユダヤ人

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ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)

ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)

 

 

この本を今日は読みふけってしまいました。

ご存知ですか?

なんか、この本「嫌われる勇気」と対をなしているように感じました。

 

 

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

「 嫌われる勇気」

が好きな方はかなりツボにハマるはず。

 

 私もかなり影響を受けております。

今までの記事をみてもそれが分かりますね。

なんだか恥ずかしいですが…

 勇気づけ - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

 基本的にこの2つの本の主張は、

 

自分の人生を生きよう!

 

だと思うのですが…

 

2つの違いは

 

嫌われる勇気は、その心のありようを丁寧に示し、

ユダヤ人大富豪の教えは、社会の仕組みの中で、どのように行動を起こしていけばいいのかを教えてくれるところでしょうかね。

 

いずれにしても、お金をネガティヴにとらえ、

「我々教師の報酬は子どもの笑顔!」

とか言い切ってしまう方に、ぜひ読んでほしい。

 

お金の話ばかりではなく、我々教師がつい食いついてしまうこんな話も散りばめられてます。

 

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タイトルだけ読むと、怪しいお金を増やし方が書いてありそうで、絶対手に取らない本ですが、私の尊敬する人に勧められて読みました。

 

人とのつながりや出会いって大事。

最近、本当にそれを痛感しています。

 神経科学…!! - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

とても刺激を受けるし、成長のきっかけになります。

 

 

もっと周りの人を大事にしようと思える本ですよ。

 

素敵な本に出会えたのも、人との出会いのおかげ。

 

もっと出会った人全てに感謝しなければ!

 

と、すぐ影響される私でした。

 

やべ!

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やっぱり教師ってやばいですよ。

 今さら - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

みなさんこの記事読んでみてください。

担任が最後のHRで、「言いたいことは会報に書いてある」って言ってたから読んだんだけど、かなり衝撃的だった - ツイナビ | ツイッター(Twitter)ガイド

 

いかがでした?

私は少なからず、

「おお、なるほど」

本当そうだな。と響いちゃいました…

 

 

 

…が!

 

 

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 おぉう…!!

 「クソみたいだった」

そう思う人もいるのか…

 

 

しかも、まだ続きます。

 

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は、はい。

確かに「当たり前」です…。すいません。 

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 http://netgeek.biz/archives/93262

 この記事も、確かに…ですよね。

変です。

 

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うわーーー!!

もうやめてーーー!!

 

 超心当たりがある

 

 痛烈すぎて直視できない。

 

 

 そして、トドメ。

なんというか……公務員のおっさんに言われたくないなぁ、と思いました。

生きてりゃ誰かに迷惑かけますよ!自分の責任なんて自分で取れないんですよ!

ぼくなんか妻に迷惑かけまくりですからね。責任逃れも激しいぜ。そんなぼくは、とても健康です。


いやー、知らないおっさんを激しくdisるつもりはまったくないのですが、「他人に迷惑をかけるな」「自分の親にも迷惑をかけてはいけない」とか、自分のこどもには絶対に言いたくないセリフですね……。

完全に「呪い」でしょこれ!怖すぎる。

そういうことを聞かされて育った社会人が、うつ病になって自殺するわけじゃないですか。マジで笑えない。

百万歩譲って「親には迷惑をかけていい」ということを教えるべきじゃないかね……。by イケダハヤト

 

…確かに。

 

って思っちゃいました。

 

 

ここは、教師として憤りを感じるべきなのでしょうか?

 

とりあえず、Twitterやその他諸々。

様々な考えを知れると

 

「やべ!」

 

ってなります。

 

何が「ヤバい」かというと

どっかで凝り固まって、

自分の価値観を

「これでいいのだ」

 

と胡座をかいてしまっている自分が

「やべ!」

なんです。

 

 自分の価値観が絶対だと思うことが何より「やべ!」

だと思うんです。

 

これは大事で、

 

思考停止せずにすむし、

クリティカルシンキングが習慣化する。

そう思っています。

 

とりあえず、最後の学級通信

 卒業式前日の学級通信 - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

子どもに配るのやめようかなあ。

そんなに教訓めいたことを言ってるつもりはないけど…

 

 

 

価値観が凝り固まっているベテラン教師ほど寂しいものはない。

思考停止しない限り

 若くチャーミングでいられる…はず。

 

 

 

Twitterさまさまです。

 

みなさんフォローお願いします☆

発信

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昨日更新したブログ。儀式 - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

なんだか陰口みたいですね。

 

言い訳みたいで、嫌ですが、一応卒業式の話し合いで、「門出の言葉はなくそう」と提案しました。

…が、そこは私のプレゼン力のなさ。

 

そもそも、周りの方にすると、「門出の言葉をやらない」という発想がないらしい。

 

「え、何言ってんの?」

っていうアウェイの空気…

 

そして、何より今組んでいる学年主任の先生が呼びかけはやりたい、とおっしゃるので、身を引きました。

その主任には、普段、そこまで自分の思いを押し通すタイプの方ではありません。

その方がそこまで言うなら、本当にお世話になっているし、尊敬しています。

 

いっちょ協力しよう!

最後の恩返し!

 

そんな感じで了承したのに。

 

 

…ダメなんです。自分が心の底から納得していないと、消化不良で切り替えられない。

 

でも、やはり自分の考えを素直に伝えるべきだとは思います。

今の卒業式を批判したり、主任を批判するのではなく。

 

陰口を仲間内でたたくのではなく、発信する。

 

これを大事にしていきたいです。

 

そうすることで、気持ちもクリアになります。

そして、陰口で絆が深まったという安易な人間関係にも陥らず、結果周囲の信頼を得られると思うからです。

 

卒業式練習

始まりました。
毎年思うんだけど、こんなにガッツリ卒業式の
練習をしているのは、世界広しといえど、
日本くらいなのではないだろうか。

卒業式の練習をしていて、
こないだの茶道体験を思い出した。
行動を洗練し、無駄なく、そして
周囲の人に敬意を表す。
やっていることは大差ない気がする。

みんなは式の大半黙っている。
後半は門出の言葉で、
実行委員が考えてくれた台詞を言い
歌を歌う。

6年間の思いはそれぞれ違うはずだ。
でも、みんなが門出の言葉で
実際に発する言葉は
個人的な思いではなく、一般的な6年生の思いを
学年の代表としてそれぞれが述べることになっている。

では、本当の自分の思いは
どうやって伝えればいいのだろうか。

それは、態度で示すしかない。
姿勢、歩き方、表情。そして目。

人はだれかとコミュニケーションをとるとき
言葉以外にも、
身振り、手振り、ちょっとしたしぐさや
表情などでも自分の思いを表している。

これを非言語コミュニケーションというが
最近この非言語コミュニケーションの重要性が
叫ばれている。

話す言葉の内容は7%に過ぎず、
93%は表情や態度で相手を判断するという説もあります。

だから、どんなに門出の言葉でいいことを言っても
態度や表情がだらけていれば意味がない。
もっといえば、卒業式でどんなに立派な態度でも
卒業式までに、6年生ダメじゃんということを
やってしまえば、その卒業式は
優等生を上手に演じるだけのただの演劇になる。

最後に本当の卒業式を自分たちの手で作っていってほしい。

 

 

こんな感じです。

今の卒業式を否定しているわけではないでしょう?

私なりに、カウントまで数えて、動作を揃えたりすることに、価値付けをしてみました。

 

ま、強引ですけどね。

 

なんとか納得しようと努力はしてるんですよ。

なんとかね。

儀式

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卒業の季節です。

みなさん、小学校の卒業式は覚えていますか?

 

卒業証書授与で、ステージに上がるのに緊張したこと。

生きる!谷川俊太郎!と大声で詩を詠んだ。

 

巣立ちの歌(旅たちの日に)を泣きながら歌った。

 

そして、なにより

「門出の言葉」を泣きながら叫んだ。

 

色々な思い出があるのでしょうね…

 

ーーーーーーーーーー

 

さて、

今日は卒業式の5、6年合同練習。

心地よい緊張感の中、子どもたちは一生懸命、練習に臨んでいました。

その姿勢、表情から真剣さが伝わって来ます。

 

5年生に背中で語っているように思いました。

 

「これが最上級生なんだよ。」って

 

本当に子どもたちの成長に感動しました。

特に、「門出の言葉」で、子どもたちが

一生懸命声を張り上げて、呼びかけをしている

様子に、練習中にも関わらずうるっと来てしまいました・・・

 

 

 

 

 

 ……ごめんなさい。

そんな風に思いたいんだけど…

 

 

 

本音でいうと…

 

 

 

 

門出の言葉」の呼びかけは

超しらける。

 

 

 

なんて、心ない教師だ!

と、怒られそうですが…

 

 

だって教師が言わせてるんだもん。

 

 

 

一人ひとりの思いではなく、

一般化した、6学年の思いでしょ?

だいたい、「門出の言葉」のねらいは何ですか?

 

保護者、来賓、担任以外の教師へのパフォーマンスですか?

 

いや、パフォーマンスだとしても、センスがない。

 

「間をあけて!言葉と言葉の間を1,2とカウントをとって!」

 

いや、そこは子どもにプロデュースさせればいいのに。

ずーっと同じテンポ、同じトーンで呼びかけが続くと単調だし、なにより思いが感じられない。

たたみかけるように呼びかけする部分があった方が子どもの感情の高まりを感じるし、迫るものがあると思うけどなあ…

 

 

儀式的行事はどこまで儀式化するの。

カウントまで数えて、動きをそろえるその理由は?

 

膨大な時間を費やして行われる卒業式練習。


正直、指導するこっちも


かったるい!!


もっとクラスのみんなと授業をしたい。

授業を犠牲にしてまでやる意義があるのかね?

 

 と思ったので、学級通信にやんわり書いちゃった…発信 - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

 

 

そもそも儀式的行事のねらいってなんだっけ?

採用試験の勉強でやったような気もするなあ

 

学校行事の目標って…

学校行事を通して,望ましい人間関係を形成し,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養い,協力してよりよい学校生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てる。

おお、いいこというじゃん!!

行事の目標いいね!

「みんなで協力して、自分たちで学校生活よくしていこうぜ、自分たちで行動しようぜ!」

っていう態度を育てるのね。

大事大事。

 

 

そんな学校行事の目標達成のために、内容はどんなんだったらOKか…

 全校又は学年を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと。

ん?

自主的、実践的態度を養うのに、秩序と変化?

 

だいたい、ここでいう変化ってどんな変化?

日常生活とはかけ離れた、特別感ってことかね?

 

なんか、モヤモヤするけど…

 

まあ、いいや次。

 

行事の中の1つである儀式的行事…つまり卒業式などの内容についてはなんて言ってんの?

1) 儀式的行事
 学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと。

 

要するに、節目を意識させるのね。

そのための演出として、厳粛と清新な気分ね…

 

 

んー!?

なんのために?節目を意識させるの?

 

学校行事の目標は、

「人間関係がっつり!

みんなで協力して、学校生活よりよくしてこうぜ!行動してこうぜ!」

 

じゃないの? 

 

まあ、卒業式の練習で、連帯感は生まれるよ。

あんだけ、おんなじ動きを要求されるんだから。

 

「はい、副校長先生が1,2,3,4でお辞儀をしたら、体の向きを5,6で来賓に向けます」

 

だもんね。

 

そりゃあ特別感も感じるよ。

厳粛な空気も生まれるでしょうよ。

 

でも、絶対

「自主的、実践的な態度」は育たないでしょ。

 

いや、まあ卒業式のポジションが

日常生活に変化を与え、節目を意識させて、在校生に、タイムリミットを意識させることが第一義だとしても、そこにコストをかけすぎでしょ。

 

平気で8時間とか、下手したら10時間かけるのは、やっぱりおかしい。

 

払う犠牲が大きすぎる。

 

その時間を、こどもたちが自分たちで、誰かに喜んでもらうような企画を考えてもらうことの方が、よっぽど有意義でしょ。

 

だって、誰かに喜んでもらえる人じゃないと、

生きていけないように、今の世の中はできてるんだから。

 

誰にも喜びを与えられないような人まで救えるほど、今の世の中にキャパはないんだから、そこを鍛えないと。←これはあまりに極端

 

言われたことを忠実にこなす子どもを育てればいいのは、高度経済成長期の話でしょ。

ミスなく、ロスなく、処理する人材。

それが求められたはず。

 

でも今は、ロボットが単純作業を。AIがホワイトカラーの仕事まで肩代わりする。

 

何か喜びを生み出せないと、この先はないはず。

 

そのためには、

やらざるを得ない空気を作るより、誰かに喜んでもらえれば何でもあり。という空気を作る方が先決じゃないのかね。

 

 

あ、ちなみに私…

 

 

こんなに卒業式をdisってるのに

毎年感動して泣いてます。

海の命

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小学校教員に

6年生の国語といえば?

と聞けば

 

やまなし

 

そしてこの…

 

海の命

 

この2つは上がるのではないでしょうか?

 

 

初めて6年生を持った時に、

一緒に組んだ先輩の先生が

 

「この単元は絶対毎年子どもに本気になって欲しいんだ。昨日も10時まで教材研究しちゃった。初任みたいでしょ?笑」

 

と言っていたのを思い出します。

 

その当時の私は言えば…

 

「いや、この作品いいですけど、子どもには早くないですか?大人の押し付けになりません?

『赤い実はじけた』とかの方が子どももピンと来るし、この時期にタイムリーだと思うんですが…自分も今でも覚えてますもん!」

 

と飲み会の席で迂闊に発言し、様々な方から顰蹙を買いました。

 

(ちなみに、その先輩とは、こないだ大げんか…というか、私が拗ねて八つ当たりした先輩です。「ごめんね。」「いいよ。」 - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

しかし、私も6年生を3回もたしていただいて、ようやくこの作品に馴染んできました。 

 

なぜ先輩の先生がこの作品にそこまで、入れ込むのか分かってきました。

 

私は国語に苦手意識があります。

なかでも、物語文は大の苦手。着地が見えない。正解が分からない。

 

理系の人間にはきついものがあります。

 

そんな私が、初めて国語が楽しいと思えたんです!

そして、子どもからも「もっと話し合いたいです!」「先生、次の時間も続けられませんか?」

 

との声があがったんです!

私は最初に、この単元は何時間ね。と言うので、子どもも時数をカウントします。

多分、初めて物語文の学習で延長依頼が来ました(笑)

 

「先生、もっと時間欲しいです。」

 

あまりに興奮して以下を殴り書きして、学級通信として、出しました。管理職には通してません。(いつものことですが)

 

なかなか白熱した議論になったね。
久しぶりに面白かった。
先生もなんだか参加したくなった。

「太一はなぜ、父を破った瀬の主を仕留めなかったのか。」
大方の見解では、
「父に見えてしまったから」
でも、それだけで納得せずに
自分たちで新たな問いを立てている。
「なんで、父に見えたの?」
その答えを◯◯さんは次のように答えてくれた。

「『不漁の日が十日間続いても、父は少しも変わらなかった』
というところと
『太一は鼻づらに向かってモリを突き出すのだが、クエは動こうとはしない』
というところが、お父さんと重なって見えたからだと思います。」

先生は海の命の勉強をするのがこれで3回目だが、
こういう見方をしたことはなかった。
先生も学べた。

みんなの疑問は思ったよりも
多くのことを考えさせてくれた。

太一の生き方を通して、自分の生き方を
見つめ直しているからだと思う。

自分が太一なら
父を破ったクエを前にして、ニコッと微笑み、
見逃すことができるだろうか。

今の自分は
目に見える、目先の成果を優先してクエを
仕留めようとする気がする。

この単元が終わった時、先生はまた少し成長できそうだ。
みんなはどうだろう。

 

 今年のテーマは自己開示。

 

とことんやってみます。

子どもに隠し事はせず、なるべく素の自分を出しますよー。

 

あ、もちろんこのブログでも。

 

「お前、今浸ってるな。」

「1人で煮詰まりすぎ」

 

などなど。教員以外の方からの冷静な一言もお待ちしております。

今後ともよろしくお願いします。

 

あえてのスルー

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大縄やっちゃいました。

 

昨日の出来事が

 今さら - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

まるでなかったかのように…

 

朝クラスに行くと、昨日の推進派の子たちが神妙な顔で何やら話し合っています。

 

「どうしたの?」

 

と廊下に呼び出し事情を聞くと

 

大縄の件で、みんなに謝るかどうかでもめていたとのこと。

 

 

「私たちが、無理やりやらせてたのかなぁって…」

「結構強引に誘っちゃってたし…」

昨日の一件がショックで、自分たちを責めている一派と

 

一方、

「えぇ!?嫌なら言えばいいじゃん!練習だって、なんだかんだサボってたしさあ!」

「しかも、記録出た時は、喜んでたし、こないだの大縄集会じゃ悔しがってたじゃん。」

「大縄が楽しくないって、楽しめるように自分が変えればいいじゃん。なんでお客さんでいるんだよ。」

 

と、昨日の一件が怒りに変わっている一派…

 

 おお、昨日の自分の葛藤が具現化されている…

と妙に感動してしまいました。

 

結局、

「謝っちゃったら、もう大縄やらないんでいいんだ。って流れになるんじゃない?」

という、怒りの一派の言葉で

謝ることはとりやめ。

 

そして、朝の会。

「先生、昨日の◯◯さんが大縄やめるっていったことについて、質問してもいいですか?」

と案の定、子どもが言ってきました。

 

実は、彼に対する返答は考えてきました。

 

「それは、公の場じゃなくて、自分で気がすむまで本人に聞いてごらん。」

 

どうでしょう?

 

 昨日は、

「みんなの前で説明する責任がある!」

と思っていましたが、プロジェクトを降りるとき、会社を辞めるときにわざわざこんなことしませんよね。

 

全体の場で、1人に対し、

「なぜ、大縄をやめたのか」を問い始めると

そこは、もはや裁判所だと、昨日頭を冷やしてようやく気づけました。

 

こんな当たり前のことに気づかず、横暴に振舞えてしまうのだから怖い。

 

そもそも自分の人生を生きろとあれほど言っていたのに、

「集団の輪を乱しやがって!」

という今回の怒り。

 

その源泉は…

 

「あとちょっとで、400回いける!そうすれば、子どもたちにとって忘れられないクラスになる。つまり、俺がいいクラスを作ったっていうことになる!」

 

という下心満載の泉。

 

だからもう、彼を責めるのはやめました。

 

でも、その代わり…

 

なし崩し的に大縄をやらせちゃう☆

 

なぜそんな結論になったかというと

学級通信を書いていて、次のことを◯◯さんに問いかけ、伝えようとしている自分がいたからです。

 

1つの仮説

「自分のキャラを守ろうと意地になってない?」

 

 

私(アドラーさん)の考え

「自分の喜びには、他者の喜びが不可欠。」

 

つまり

 

「自分もある程度楽しめて、他の人も喜ぶことなら、ガンガンやらんかい!」

 

という結論にいたりました。

 

そして、即行動。

「なし崩し的に大縄やらせちゃおう作戦」

 

 実は朝の大縄推進派の話し合いで、

テストの後、

「いつも通り大縄やります」ってみんなにいいなとアドバイスしました。

「え、◯◯さん、来ますかね?」

と、さすがに心配そうにする子どもたち

 

「いや、安全面で1人だけ教室に残すわけにいかないから、校庭に出ることくらいは付き合ってもらうよ」

 

「そっかぁ!」と喜ぶ子ども。

 

「でも、外に出ても、見学するかもよ」

と私。

「まあ、どうやって大縄の輪に入れるかはみんな次第だね。」

 

と丸投げ。子どもたちは再び緊張した顔に…

 

そして、その時が来ました。

テスト提出した人から、校庭に行ってください。

 

最初、◯◯さんは、

みんなが出て行った後も、黙々と机を整えていました。

 

もうね、この時点で自分の仮説があっていると直感しました。

 

でも、私は黙々と事務作業を机でバリバリこなしているフリ。

 

そして、校庭からクラスの子たちの声が聞こえたのをきっかけに

 

「あ、まずい、もう外に出てる!◯◯さん、もういいよ、行こ。」

 

と当たり前のように言いました。

 

「あ、はい…」と◯◯さん。

 

 

そして、その後…

 

みんなと円陣を組んで

大縄に取り組みましたとさ…。

 

 

今回のエピソードで得た教訓は

 

何事も白黒はっきりしようとすると自分も子どもも追い詰める。

 

選択と決断を子どもに迫る時は慎重に…

 

ということでした。

 

 

 

自分探し

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 昨日のことを引きずって、

今さら - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

 

学級通信を勢いで書きました。

 

今日このまま出します。

伝わるかなあ。

 

みなさんは、本当の自分ってどんなんだったっけ。。と疑問に思うことはありますか。

大人って実は「本当の自分」が
分からなくなっちゃってる人は結構多いと思う。

 

みんなもこんなことない?
例えば、友達と話を合わせていると
そこそこ楽しいんだけど、なんとなくむなしい。
そういうときに、「自分ってなんなんだろう。。。」
とふと思うはず。
自分を押し殺していると、窮屈で悲しくなるから。

 

大人になると、なかなか素の自分でいるのは
難しくなる。
例えば、レストランでウエイトレスをしているのに
お客さんに、「はやく水もってこい」と言われて
「偉そうになんだ!自分でもってこい!!」
なんて言っちゃったら、即クビだよね。
仕事だから「かしこまりました。ただいまお持ちします」
って言わなくちゃならない。
まあ、とにかく素の自分で勝負するのって勇気がいるしね。
わざわざ危険をおかして自分の素を出さなくても
日々は過ぎていくし、むしろ仕事はうまく回る
と思っている人も多いだろうな。
でも、そういうことを繰り返して、
本当の自分がわからなくなる。

日々、素の自分をさらけ出している人は
そんなことで思い悩むことはないでしょうね。
うちのクラスの男子はそういう人多そう。
でも、そうじゃない男子も確実にいる。
女子は正直分からんよ。君ら本当に仲いいの?
素を出せているかい?

みんながなるべく素の自分を出せるように
今年は先生自身もなるべく素の自分を出して来たつもりです。
それがみんなにとって良かったかは知らないけど。

 

さて、本題だ。
最初の問い「本当の自分ってどんなんだっけ。。。」

そんなこと考えなくていい。

例え、場面に応じてキャラを使い分けていたとしても
そのキャラを選んでるのは自分だ。
そのプロデュースのやり方こそが、自分だ。

だいたい、素の自分というのは、
社会で通用しない。
超自分勝手なはず。赤ちゃんとそう変わらない。
でも、そんなワガママな自分を今までの人との関わりの中で、
なんとか通用するようにキャラを作って来ただけなんだから。
どんなに本当の自分を探したって、所詮ある程度作ったキャラのはずだ。
だから、いろんな経験をしていろんなキャラの引き出しがあることは、
ちっとも悪いことじゃない。


そもそも、人は人との繋がりなしで生きていけない。
これは、綺麗事で言うわけじゃなく、単なる事実。
完全に1人で山奥で生き延びようとしたら、
その生存率は低い。そういう話。

現代社会では、直接人と接しない仕事はある
プロのブロガー、ユーチューバー。
でも、この人たちこそめちゃくちゃ人を意識してるはず。
不特定多数に向けて何かを発信するには、
いろんな人たちを想定して、その人たちが何を求めているのか
考えて、ねらって発信しているからだ。

完全に1人でできる仕事はない。
誰かしらと繋がって、誰かが喜ぶことをしないと
生きていけないことになってる。

そして、よくできた話で、
人は誰かに喜んでもらうことが本当に嬉しいと
感じられるようにできている。

小説、漫画、ゲーム、映画、テレビ
こういうものをただただ
1人で消費するだけで
「人生最高!!」って思える人はいないと思う。

つまり、自分探しなんてする前に
自分が人のために何ができるのか、
どうやって人を喜ばせるのかを
考えないと、つまらん人生が待ってるよ。と思うのだ。
何より、人のために何かしらしないと生きていけないわけだからね。
そこ考えないとまずいでしょ。

 

 

少しでも伝わるといいな。

 

結局、

言いたいことは、大縄やろうぜ!

みんなとやると楽しいよ。

ってことなんだけど(笑)