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小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

アサーションの実践

アサーションについてはこちらをご参照ください。

 アサーション - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

さて、タイトルの「アサーションの実践」

について、先に結論を述べます。

 

 

アサーションを実践できてるかどうかは、検証できない。

 

しかし、

 

アサーションを意識すると、いかに自分の思いと向き合ってこなかったかに気が付ける。

 

 これが現時点での私の見解です。

 

そもそもアサーションではまず、以下のプロセスが必要です。

 

①自分の思いを確かめる。

②事実や状況を共有する。

③提案は具体的に述べる。

 

まず、この①が最難関!

そして、大前提として、以上の3ステップを済ました後

 

相手の反応を受け止めようとする姿勢

 

が求められます。

 

 

まず、冒頭でも述べた①が難関。

自分の本当の思いって、考え出すと分からなくなるのです。

 

例えば昨日は、勤務校の重点研究の指導案検討がありました。

教師が顔色を伺って発言する場面です。

 

指導案が微妙だと感じたとき、みなさんはどうしますか?

 

まずどうやったら丸く収まるか。相手の気分を害さずに、代替案を伝えられるかを考えませんかね?

 

コミュニケーション能力が高いと言われる人ほど、そこら辺のシナリオを描くのが上手いのでしょう。

そして、表情や声音もフル活用し、上手に自分の提案を通していくのでしょう。

 

そもそも、指導案が微妙と感じたとき、自分はどんな思いをもっているのだろうか。

 

昨日はここを考えて見たのです。

 

①微妙な点を指摘し、自分の方が優れているとアピールしたいのか。

 

②それとも、こんな指導案をもってきても困るわ!という怒りを一番に伝えたいのか。

 

③純粋に、よりよい研究授業にしていくため、改善案を伝えたいのか。

 

 

おそらく、私の場合、これらが全てごちゃ混ぜになっている状態なのかな、と。

 

しかし、この中でも一番重視したいのは、③でした。

 

だから、事実や状況を確認し、その上で、具体的に代替案を提案しようと努めました。

 

指導案検討における、事実や状況とは、こうすべき!という研究主題や、教科特性について。

 

あくまで自分の趣味嗜好ではなく、現段階で指針となるものを確認した上で、具体的に学習展開を提案してみました。

 

 

結論から言うと、通りました!

 

そんなに気分を害してもおられない様子。

 

良かった。ほっ。

 

 

しかし、ここでまた気づきます。

 

「相手の反応を受け止めようとする態度が出来上がってない!」

 

と。

 

 

仮に相手が怒っても、それは仕方ないよね。

受け止めるしかない。

 

という覚悟がまだないことに気がつきました。

 

 

まあ、結果オーライでしたが、以上のことは全て私の気持ち1つと言えることなので、アサーションができたのかどうか計り知れない。

 

そんな風に感じました。

 

また、自分の思いがどうなのか、本当はどうしたいのかを相手とのやりとりでいかに考えてこなかったのか、それを本当に体感できました。

 

それだけでも、大収穫。

 

主体性を育てる訓練にもなるのではないかと、思えたほどでした。

 

相手とのコミュニケーションの中で、絶えず自分の思いを確認しながら、自分の思いを伝える。

 

その結果として、表れた相手の反応も受け止める。

 

なかなか過酷な作業です。

その作業から逃げてたんだなあ。

 

 

セミナーを主催して感じること

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昨日は西村健吾先生をお呼びして

新横浜

浜流(居酒屋)

にて

セミナーを開催しました。

 

みなさんセミナーと聞いてどう感じますか。

「なんだか、あやしげ」

 「そもそも、セミナーにほいほい参加しちゃう人ってダメそう」

「めんどくさい」

「意識高い系の集まり」

 

私もセミナーなんてものが世の中にこんなに多く存在するなんて知りませんでした。

同期が、以前から色々なセミナーに熱心に参加しており、私もたまに誘われ、渋々参加する感じでした。

 

しかし、

様々なセミナーで感じるのは、

その「オフィシャル感」

正直、自治体主催の研修とさほど差別化がされていないなという感想をもっていました。

もちろん、講師の先生は本当に熱心で話し上手。4時間の講義もあきない。そこは、いわゆる自治体主催の悉皆研修とは、大きく異なります。

 

しかし、その根底にある「固さ」のようなものを感じ、せっかくの休日の勉強会なのに、なんだか息苦しいな。と感じていました。

 

セミナーに行くと、モチベーションは上がります。すごい人のすごい実践を知る。

 

何より、「授業を受ける側」になることで得られる気づきは山ほどあります。

 

が、

 

疲れる。

体力のない私などは、正直休日は家で1日ゴロゴロしたい。精神が緩みきっています。

そんな中、セミナーに行くと、日頃の休日の過ごし方とのギャップに、動悸息切れを起こすような

「無理してる感」を自分で自覚することができました。

 

スキルアップしたい。でも楽したい。」

 

 そんなどうしようもない思いを抱いていた頃、私の同期から西村健吾先生のセミナーのお誘いがありました。

 

そのセミナーの後の懇親会に参加したとき、「これだ」と思いました。

 

居酒屋で、尊敬する先生が目の前にいて、一緒にお酒を飲んでいる。

 

それだけで、なんだか非日常。興奮するシチュエーション。

 

そして本を出しているような先生が自分の課題について応えてくださる。

そこに感動しました。

 

「もっとセミナーを身近に」

「カジュアルに」

 

そして、何より、

「参加者と講師。参加者同士がもっと近くに。」

 

そんな会ができるんじゃないかなあと思いました。

 

単純な私は、場所を居酒屋でやれば実現できると思いました。

 

そうした思いを、その場でセミナーに誘ってくれた同期に語ったところ

 

「面白いね。知り合いに居酒屋のオーナーがいるから聞いてみようか」

 

と、その場で連絡してくれ、営業時間外に店を使わせてもらえることになりました。

 

 

西村健吾先生は

セミナーを運営しようと決心するきっかけとなった先生で、私にとっては特別な存在です。

本日はセミナー - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

なんかものすごく淡白に書いてありますが、インスパイアされていたのですよ。

講義内容の素晴らしさはもちろん、ここではうまく伝えられないお人柄。是非みなさんにもお会いしていただきたい。

 

そのためには、もっとセミナーが身近に感じられるように、そして、講師の先生がもっと近くに感じられるように

 

 そんな思いで居酒屋でセミナー運営を始めました。

 

そして、構想から7ヶ月たった今、西村健吾先生をお招きしてセミナーを居酒屋で実現して感じることは一つ。

 

それは

 

人と人をつなぐ楽しさです。

 

自分が素敵だと思う先生を紹介し、そこで集まった人同士もまた関わり合う。

 

そうした様子を見ていると、なんだか本当に嬉しく思います。

 

最後に先生が言ってくださった

「参加者の皆さんから今日は元気をもらえた。本当に良かった。ありがとう」

 この言葉。

 

 

参加者も講師の先生も元気になり、そこに集ったみんなが「週明けが楽しみになる」

 

そんな会を目指していきたい。

改めてそう感じました。

 

参加してくださった皆様、昨日はありがとうございました。

フワッと

ここがヘンだよ!日本企業のイノベーション | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 

この記事、授業でも、学級経営でも、学校経営でも参考になる気がしました。

 

みんなでイノベーションを起こすんじゃない。

1人のパッションががみんなを巻き込んでイノベーションを起こしていく。

 

これが自然なんだよな。

 

重点とかで

「1人1人が輝ける授業を目指して」

 

なんていう、非常に文学的な主題を掲げ、そこで、全員発表させる意味ないんじゃない?

全員文の発表聞いてる子どもたちも苦行だろうに…

 

と感じてしまうような、超不自然な授業展開って良くないですか?

 

多分、今我々が思い描く、「素敵な授業」はきっと全然ダメダメなんだろうなあ。

そもそも、授業という概念と、生きていく上での学びや、専門的なスキル習得、様々な要素がないまぜになってよく分からないことになってる気がする。

 

うまくまとまりませんが…

もっと自然に、子どもたちが学び、自分たちで、新たな価値を創造していく。

 

そういうことがもっとできる気がするんだけどなあ。

 

というフワッとした記事。

 

最後まで読んでくださった方。

なんかすみません。

自主性と主体性

以下のような学級通信を書きました。

題は…

 

特に嫌なことがあるわけでもないけど、なんとなく、日常がつまらない君へ

 

自主性と主体性
この言葉、似てるようで全然違う。

先生のとらえは、次に記す。

自主性は、「やらなければならないことを先回りしてやる」態度。
例えば、漢字テストでいっつも0点をとっている人がお家の人に「漢字練習しなさい」と言われる前に、漢字練習を自分からやる。
いわゆる「いい子ちゃん」。「優等生」。

主体性は、「やりたいことを実現するために課題を見出し、リスクを恐れず自分で行動する」態度
例えば、漢字テストでいっつも0点をとっている人が、自分自身がどうしても漢字テストで100点とりたいから、漢字練習を自分からやる。

どちらも、「自分からやる」ということに変わりはない。
しかし、この2つは決定的に異なる。
その違いは、モチベーションの出所だ。

行動原理が違うと言ってもいいかもしれない。

自主性がある人は、誰かの思惑を気にして行動する。
上記の例で言うと、お家の人に怒られたくないから、褒められたいから漢字練習をするんだろう
常に誰かの評価を気にして行動していくことになる。
人からどう見られるか想像する力も大切だが、他人の評価を最優先して生きるのは、オススメしない。
周りの人に認められているうちはいいが、どんなに頑張っても周りの人に認められないこともある。
例えば、頑張っても頑張っても、漢字テストで95点しか取れない。
でも、お家の人には、なんで100点とれないんだ!!と怒られる。(まあ、そんな人そんなにいないと思うけど)
そんなとき、その人はどうなってしまうんだろう。
もっと頑張ってしまうのだろうか、それとも自信をなくすのだろうか。
どちらにしても先生から見ると痛ましい。

主体性がある人は、自分の思いを貫いて行動する。
上記の例で言うと、とにかくテストで100点とりたいからやる!
だれのためでもない、自分のためにやる。
きっと95点をとったら、まずは前よりも点が伸びたことに喜ぶだろう。
次こそ100点とってやる!とまた、頑張ることができるはずだ。
そして、そんな100点を取るまでの過程も楽しむんだろうな。

 

先生は最近、心底主体性をもって生きていきたいと思っているよ。

 

みなさんはどう?

 

 

 

 

思いを伝える心地よさ

「思いを正直に伝えてみて、本当に良かったです。」

 

これは、自分の思いに共感してもらった人のセリフですね。

 

「自分の思いに共感されなかったけど、とりあえず、自分の気持ちを正直に話すことができて良かったです」

 

これを、心の底から言えるようになりたいです。

 

自分の正直な気持ちを伝えるのって、勇気が要りませんか?

 

自分の思いや、考えに共感してもらえないと、自分を否定されたように感じてしまう。

 

自分を否定されることは、自分が安心できる居場所がなくなることに繋がるから、とても怖いのです。

 

こんな風に考えて、自分の思いや考えを発表できないでいる子はクラスでもよく見られます。

 

また、例えば、誰かの意見に対し、反応しない。

素直な自分の反応を見せない。

これも、非主張的自己表現です。

このような自己表現をする根幹には、もめ事を避け、安全を確保しようとする心理。また、相手に合わせているようで、実は相手に甘え、依存している心理も働いているそうです。

 

非主張的自己表現をする人間にとって、自己表現は嫌われる可能性があること。これを、自己主張する人間に委ねる。つまり相手の主張を受け入れる体で、相手に判断を委ね、嫌われ役を押し付けているとも言えるのではないでしょうか。

 

さて、前置きが長くなりました。

早速昨日勉強したアサーションを実践してみたんです。

 アサーション - 小学校の先生を120%楽しむ毎日

 

学年の先生と運動会の演技について話をする機会があって、そこで正直に自分の思いを伝えることができました。

 

実は金曜日も学年の先生と運動会の演技について話をする機会がありました。

しかし、ここでは、私が考える運動会の演技の「プレゼン」をしていました。

学年の児童の実態を踏まえ、運動会の演技に取り組む過程でどのような子どもの変容が期待できるか、論理的にただ「説明」していたんですね。

 

そこに、私の正直な気持ちもあることはあるのですが、このプレゼンをしているときの正直な思いとしては、自分の思う運動会の演技にしたいということでした。

もっと言えば、うまく言いくるめようということばかり考えていました。

 

しかし、私の提案はさらりとかわされてしまいました。私の思いに寄り添った形で話を進めてくれたとは思えませんでした。まさしく「うまく言いくるめられた」という感覚でした。

 

しかし、今日はなんと金曜日のことが翻り、かなり私の思いに沿っていただけたと感じました。

 

まあ、傍目には私がごねて、学年の先生を付き合わせる形にもっていったように見えたかもしれません。

が、私は少なくともそうは思っていません。

ちょっと前だったら、それこそ無理に自分の思いを通して、自分はわがままだ。なんて子どもなんだ。と自己嫌悪に陥っていたかもしれません。

 

しかし、アサーションの本で読んだこんな一節が心に残っていたようで、今は清々しい気持ちでいることができます。

 

「人は誰でも自分の気持ちや考えを表現してよい」

 

当たり前じゃん。

と思われるかもしれません。しかし、これが悪とされていませんかね。

感情を押し殺すことが美徳になっていませんか?自分が怒っているとか、悲しんでいるということを表現することは、知性のない行為のように思われてませんかね?

 

もちろん自分の感情の伝え方ってありますけどね。あからさまに不機嫌な顔で、悪態をついたり、大声をだして周りを威嚇するようなことは迷惑ですけど。言語化することはむしろ必要でじゃないですか?

 

「え、そういういじり全然面白くない。っていうか不愉快なんですけど。」とかね。

 

飲み会で調子こいた人に冷や水をぶっかけたりね。これはむしろ周りの人のためにもなるし、その人のためにもなりませんか?

 

話があちこちいってしまいますが、とにかく今日は、自分の正直な気持ちを伝えてみると、話が前進したという手応えがあったんです。

探り探り、相手の意図を慮りながら、自分の思い通りにコントロールしようとするやりとりより、健全で建設的。そんな風に実感しました。

 

案外、職員会議なんかでも、理路整然と目的、現状、課題、対策、スケジュールを述べるより、正直な提案の思いを語った方が通ることもあるのかなと感じました。

人って結局最後に心動かされるのは、理屈ではなく感情の部分だと思うので。

正直な思いを述べるというのは、それだけで相手を感動させる要素を含んでいるようにも思います。

アサーション

この言葉最近知りました。

 

ふたせんさん主催のこの会で。

 学ぶことにワクワクした1日 - 小学校教師ふたせんの朝3時からの共育現場〜育つ育てる育てられる〜

 

私の成長に関わることとして、ハピペンさん

 それでも幸せな人はいるから

が勧めてくださいました。

 本当に感謝です。

 

今日はアサーションに関する本を読みました。

 

 

アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)

アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)

 

 

 

アサーションとは

 自他尊重の自己表現

 

自己表現には

 

非主張的な自己表現

攻撃的な自己表現

そして、アサーション

 

がある。

 

アサーションとは、ちょうど非主張的、攻撃的な表現のいいとこ取りをしている表現方法だそうで。

 

アサーションの本質は

①自分の考えや気持ちを捉え、それを正直に伝えてみようとする。

②伝えたら相手の反応を受け止めようとする。

 

 

ただ、大前提として、相手も同様に自己表現することで成り立つ。

 

 

これが、なかなか実際のコミュニケーションする場面で難しいところかな。

 

人間関係ができてないから、まだ本音で話すのはやめておこう。という「能ある鷹は爪を隠す」を曲解して実践している人が多すぎる気がする。

 

そして、教員の厄介なところは、みな一様に攻撃的な自己表現をすること。

 

こんなことを書くと教育関係者は、

「むっ。一緒にするな。私は相手の思いもしっかりと聞いたうえで、お互いの妥協点を見出して、合意形成している。」

「相手を言い負かして自分の主張を通したことはない。しっかりと、論理的に順序立てて説明してみんなに納得してもらっている」

と気を悪くされるかもしれません。

 

でもね、一度よく振り返ってみましょう。

絶対やってますから。

 

そもそも教員の世界はもろ、「権威主義」だと思うんですよ。

ベテランの先生が絶大な発言権をもっていませんか?

そんな先生が言ったことってやっぱり絶対なんですよ。

例えば、教育方針で教員同士の意見が対立した場合、意見が通るのはベテランの意見でしょう。

教育方針による、児童の成長率とかって数値化してデータを残してませんからね。そこで、判断基準となるのは経験年数です。

経験年数は、教員の世界では即信頼と実績に結びつきますから。つまり、ベテランの前では非主張的な自己表現にならざるを得ない空気感が蔓延しているのです。すると、ベテランは相手の反応を受け止めようとする習慣がなくなる。自分の意見は尊重されて当たり前になる。

ベテランの方自身もそういう道筋を通ってきてますからね。だから、率直に思ったことを口にされた時、不必要に「攻撃された」もっとひどくなると「刃向かってきた」と感じてしまう。権威主義の人ほど。

 

つまり、本当に怖い話ですが、

コミュニケーションというものが「思い通りに進まない」という大前提で成り立っている

ことを忘れてしまうんですよね。教師として優秀と言われる人ほど。

 

そして、攻撃的な自己表現というのは、

露骨に攻撃的でなくても、

自分の思い通りに相手を操作しようとする場合

にも当てはまるんです。

 

これですよ。これ。

みなさん、教師の方は必ずこれやってますよ。

職場内の実力者をよく観察してみてください。どんなに物腰柔らかで人当たりが良い人でも、いやそういう人こそ、結構これやってます。

 

実のところ、我々教員は

自分の考えを相手に伝える→即合意形成→即行動の変化

という、超不自然なプロセスを日常的に行なっているはずです。

 

どこで?

学級で。

 

よくよく考えてみれば、本当に子どもたちと合意形成なんて、毎回できているはずないんです。

どんなに優秀で、子どもから信頼を得ている教師でも、8割がたは子どもが付き合ってくれていると考えた方が健全だと思うんですよ。

 

だって、あり得ないでしょ。どんなプレゼンの達人も子ども相手に毎回、合意形成なんてできませんよ。

そもそも本当にこちらの意図が伝わっているかどうかも怪しい。まして、子どもが自身の判断で、教師のいうことに価値を感じ、行動を変容させるなんてこと、かなりのミラクルだと思いませんか?

「自分は相手の思いを汲み取って自分の考えを相手にわかってもらうことができる」

と思い込んでいる自称できる教師の方ほど、一度ゼロベースで考え直すことをオススメします。

 

 

でも、優秀な、周囲から評価されている先生ほど、学級経営や、職員会議での提案がうまく見える先生ほど、自分が「攻撃的な自己表現」を常に活用しているかなんて、振り返ろうともしない。

 

そういう、教師の「他者の思いを汲み取ってると思い込む」傾向はもはや職業病と言っていいのではないでしょうかね。

 

さて、本の内容に戻ります。

常に以下のことを実践していきたいです。

 

①自分の思いを確かめる。

②事実や状況を共有する。

③提案は具体的に述べる。

 

その上で

相手の反応を受け止めようとする。

 

これができるかどうかが鍵だと思う。

相手の反応を受け止められるように自己肯定感を上げていかなければならないんだろうな。

 

それも勉強していこう。

学級目標

やっと決まりました。

 

宇宙にとばせ

協力・信頼の5-3ロケット

 

 

協力しあい、生まれた信頼で飛び立つ5-3は

宇宙のような未知の世界にもチャレンジできる

 

 

そんな意味づけをしました。(私が)

 

正直、子どもたちにはまだそこまでの思いはなさそうに見えます。

 

 

それにしても、この学級目標を決めるまでに

要した時間、なんと3時間。

 

私の腕がないといえばそれまでですが

 

とにかく、意見が出ない。

 

学級目標のアイディアを出すのに1時間

賛成、反対で1時間。

しかし、明確な目指すべきクラスのビジョンを一人一人が持てていない状態での議論なので、着地点が定まらず。。。

 

一部の人間で議論が進む。

そこで、一喝

 

みんなの1年間を左右することを決めている。

他の人に自分の1年間を委ねてはいけない。

また、自分の思いを一部の人しか発表できない現状について、もっと危機感をもとう。

 

そんなことを言った。

 

実際、学級会の様子を見ていると、周りを窺いながら手を上げようとしたけど、俯いて、手を下げる人がいた。

 

この状態はかなりまずいと思う。

 

学級目標について話し合う場で、手を挙げられないのは、自分の思いを受け止めてくれないと思っているか、そもそも、クラスのことなんかどうでもいいと思っているかだ。

どちらも、学級集団に期待していないということだと思う。

 

自分の思いを安心して発信してできない集団では、何をしても高まらない。自分の考えも深まらない。

 

何より、集団に属し、その集団が自分に喜びを与えてくれるものだと、実感できるようなクラスにしていきたい。

 

集団が窮屈なものではなく、そこに所属する安心感やそこで得られる喜びに存分に触れ、自信をもって社会に出て欲しい。