小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

職員専用ホームページでこんなの書いてます。

職場で毎日発信できるって最高に楽しいし、嬉しい。

絶対反響もあるし。

みなさんぜひ、イントラネット環境を整備して、職員専用ホームページを作っちゃいましょう。ホームページビルダーで簡単にできます。

 

 

 

2017.9.21 木曜日

本日は特別時程です。やったー


4年生は資源循環局見学
お気を付けて。

スクールカウンセラーAMですね。
ちょっと私もおねがいしようかな。

 

さて、みなさん。お久しぶりです。
5年生
西湖に行ってまいりました。
様々なアクシデントもありましたが、
最高のチームプレーで乗り越えました。
Iさんが遠い目をして
「いいチームになってきた・・・」
とつぶやいたとき。
Tさんが優しく微笑んでいました。

副校長も、「ううむ、なかなかやるわね」
と、唸っていました。
そして、こっそり私にだけこう言いました。
「一見目立った働きぶりは見せていないけれど、ウッシーがチームを支えてくれて
いるのね」
と。
私は、改めて副校長先生の慧眼に
戦慄しました。
みなさんご存知の通り。
私は目立つことが大嫌いです。
だからチームに貢献したことを
ことさら自慢したりしません。
ひたすら目立たないように
そのとき学年のためにできることだけを
考えてベストを尽くしてきました。
それを見抜くとは・・・。
こりゃあそのうち評判になって
委員会からもお呼びがかかるぜ。
参ったな。
ふう・・・。静かに暮らしたいのに

 

 

 

さて、空想の世界はここまでにして。
今の私の心境について語ります。
興味がない?
はは。それは嘘です。
自分に嘘をつくのはやめましょう。
本当のあなたは
体育座りで泣いていますよ。

 

 

では、語ります。
今、私は
一つ一つ行事が終わっていく感覚と
秋の深まりと相まって
今、とてもセンチメンタルな気分です。
もうね。ただのセンチメンタルボーイです。

本日は高学年集会。
金曜日から、本格的に専科制が始まるので、その区切りとして行います。
それが私の中のセンチメンタルボーイをさらに刺激して、思春期真っ盛りのような繊細で扱いにくい30過ぎの男を創り上げました。

それが今の私です。

今、専科制にとても、わくわくしています。
色々な子どもと関わること。
自分のクラスの子がどのように
変わっていくのか。

 

ただ、それと同時に自分のクラスの子が自分の手から離れていくようなさみしさも感じます。
(すでに子どもの心はだいぶ離れていっているとしても)

 

 

明日が、専科制になる前の私がクラスの子どもたちを独占できる最後の日。

大事にしたいと思います。

この仕事についてから
縁、絆
そんな、不確かで、聞こえのいい言葉について
考えることが多くなりました。

子どもたち、保護者、校外学習先で出会う人たち。
そして、職員。

 

たくさんの人と出会い。
たくさんの人と別れる。

 

どういう形で出会い
どんな関係性を構築していくかで本当に心でつながれるのか。
Facebookやインスタグラムでつながるだけで終わるのか。
それすらもないのか。

その後の人生において、お互いが交差するか、しないかは関係性の構築にかかっているのに。

ついつい毎日会う面々にいい加減な関わりをもち、後で後悔する。

「もっとよりよく関わっておきたかった」

今、そんな気持ちなのです。

 

 

 

そして、昨日、自分のクラスで専科制が始まる心境について語りました。

 

正直、週4時間しかみんなと授業できなくなるのは嫌だ。

でも、専科制で色んな先生にみんなを見てもらうのは、絶対みんなにとってプラスになる。

高学年の先生たちはみんないい人たちだから。

 

 

こんなことを語っている間に、体験学習を終えた疲れもあって、つい涙腺が緩み、泣いてしまいました。

 

そのせいか、今日連絡帳で保護者から次のようなお言葉をいただきました。

 

いつもお世話になっております。

西湖宿泊、とても楽しかったみたいでホッとしています。特にカヌーが楽しかったそうです。

さて、◯◯(子どもの名前)から明日(今日)教科別が始まると聞きました。すごく悲しそうだったので、よほど先生のことを信頼しているのだと思います。◯◯は自分から気持ちを伝えるのは苦手な方ですし、学校の話しもあまりしません。

ですが、先生のことは私にだけ話してくれました。先生との授業は減ってしまいますが、絆は深まっていくのだと信じています。どうぞこれからもよろしくお願いします。

 

嬉しい。本当に嬉しい。

ただ、素直に感動してしまうう一方、そんなに思ってもらえるほどのことをしてないのになあ。と申し訳なくなります。

 

そんな風に思ってしまうのは、私がまだ「自分のために教師をやっている」自覚があるからでしょう。

 

もっと精進せねば!

コードブルー

職場でコードブルーのドラマが流行っている。

普段ドラマを見ない私も珍しくハマってしまった。

 

最終回で、今の自分に響くセリフが飛び出して来た。

 

「どうせ無理だから。

他の誰かみたいに仕事をしようと思っても」

 

私は時々、同僚の指導力、授業力などに嫉妬することがある。

しかし、教師がもつ本当の凄みは、人間性だと思う。

 

授業などで、教師の仕事ぶりを見て圧倒されるとき、ほとんどその教師の上辺だけを見ているに過ぎない。

その先生が、子どもたちの未来をどのように見据え、授業設計したのか。どのように目の前の子どもたちを捉え、普段どういう気持ちで子どもに接しているのか。

その人の人間性が全て現れる。

だから、私は教師の仕事は人間性によって決まると思っている。

 

それゆえに、教師が他の教師の仕事を真似て仕事で成果を出すのは難しい。

真似したつもりでも、それはただの上澄みだ。

他の教師の仕事を真似するには、その教師と同じ人生を歩まなければならない。

 

それが分かっていても、どうしようもなく羨ましくなることがある。

あんな風に子どもたちに声をかけられたら。

あんな風に授業できたら。

 

でも、ドラマのセリフを聞いて、ハッとした。

 

「私は私なりの救命をつくっていくしかないんだって分かった」

 

今の未熟な自分なりに、精一杯子どもたちに向き合い、ベストを尽くしかない。

 

「自分のために医者をやっていた。
今は誰かのために医者をやりたいと思っている。」

 

そのことを忘れ、忘れ他の教師の仕事ぶりに憧れているうちは、

「自分のために教師をやっている」

のだろう。

 

子どもたちに慕われたい。

保護者に感謝されたい。

同僚に認められたい。

 

そんな気持ちがあるはずだ。

 

目の前の子どもたちのために、自分なりにベストを尽くしているという実感さえあればいい。

教師は究極の自己満な仕事だと思う。

仕事の成果なんて、本当のところ、だれも推し測れないはずだ。

 

私は私なりに考えよう。

子どもたちにとって何がベストなのか。

 

答えはその都度変わるだろうし、何度も迷うだろう。

 

この仕事を続ける限り、思考停止せず、子どもにとってベストを探す。

 

そういう姿勢で仕事に臨もう。

Teacher's School 「Interactive Learning Lac 対話的な学び研究会」

行ってまいりました。

 

会場はなんと、主催者の館野さんのご自宅!

うーん、その発想はなかった。

 

もうね、とにかくおされ!!雑誌の中に入り込んだかのようなシャレオツぶりです。

オシャレ空間に飲み込まれ、立ち尽くしているうちに、参加者が揃い、自己紹介タイムです。

 

この自己紹介もオシャレ。

ポインツオブユーというコーチングカードというそうです。

コーチングをカードで楽しみながら学ぶ、活かす、育てる - Points of You Japan

写真と、その写真のテーマのようなものが書いてあるカード。

 

それを1人一枚選び、

 

1.呼んでほしい名前の呼ばれ方

2.今日持ち帰りたいこと

3.コーチングカードを用いた自己紹介

 

私の場合、

「学びの場の持続可能な運営の仕方について持ち帰りたいこと」を伝え、

イメージカードは、タンポポの綿毛が今にも飛び立とうとしているものを選び

「外の学びの場に飛び出して行く自分」と

「学びの場を広げていこうとする自分」を重ねて、自己紹介しました。

 

最初、フォトカードを使っての自己紹介って結構ハードル高いかなと思いましたが、ただの自己紹介よりも少し縛りがある方が逆にやりやすいし、ある程度情報も開示できていいですね。

あと、照れがなくなります。

セルフプロデュースのツールとして、フォトカードがあるので逆に安心感がありました。

 

その後は、大学生の方の発表。

 

実はこの方とは、会が始まる前に少しお話しができて、「先生になるんですか?」

とお聞きしたところ、

教育実習は終えたものの、教育系の民間企業に就職が決まっているとのこと。

さらに突っ込んで、

「実習で、先生になりたくないと思いました?」

と聞くと

 うーん、と言いづらそうに実習で感じたことを話してくれました。

職員会議などには同席させてもらえず、職員の先生方とも深く関われず、子どもたちとの距離もある程度作らねばならず、なんだか不完全燃焼だったとのこと。

また、

様々なルールがあったり、きちっと教育実習中に決められたプログラムに従って、ただ何も考えず、言われた通りに行動せざるを得ない状況を疑問に思うこともあった。

と、いった趣旨のことをおっしゃってました。

 

確かに、そうなんですよね。

私の場合、小学校の実習は理科支援員として入っていた学校だったからある程度自由度はあったし、職員の先生方とも関わりがあったけど。

中学校の実習にいった時はそんな感じでしたかね。

実習生が主体的に学べるように設計する必要がありますね。

来月の教育実習に向けて気合が入ります。

 

 

さて、そんな大学生の方の

「対話的な学びに関する提案」

 

これ、面白かったー。

 

みんなでお茶やジュースを飲みながら、まさしくワールドカフェ形式での議論。

 

館野さんのファシリテーターとしてのさばきも鮮やか。

 

 

印象的だったのは

「大学生の場合、おしゃべりレベルで対話的な学びはできる」

ということに対し、

「対話ってそもそもおしゃべりレベルで成り立っているものなの?」

という問いが投げかけられ、対話について抱いている参加者のイメージを共有しました。

 

みなさん共通して、対話による学びを成立させるには

「相手を尊重している」

ことが前提にあるということをおっしゃっていたように思います。

 

確かに、対話的な学びってクラスの子どもたちの横の関係が浮き彫りになりますもんね。

発言力の強い子の意見に引っ張られて同調していたり、逆に何も言えなくなっていたりする場面をよく見ます。他者尊重ができてない集団で対話的な学びはなかなか成立しないでしょうね。

 

館野さんは対話について

意識して行わないと学びを深めるには至らないという主張のもと、対話活動の1つのゴールとして

「普段の関係を超えること」

とおっしゃってました。

 

苦手な人に対しても、共通の目的意識を持ってお互いの考えを伝えあう。そうすることで、新たなものの見方、考え方ができるようになる。

 

うーん。なるほど。

 

こんなふうに、対話活動で子どもたちがどのような状態になっていれば、対話活動によって深まったと言えるのか、明確なイメージをもつことが授業設計の第一歩ですね。

めちゃくちゃ価値がある時間でした。

 

また、元中学校の教員だった参加者の方からは、

「対話活動を通して、自分で乗り越えられない問題に他者と協働していく力が育めると思っていた。しかし、対話活動がうまく機能せず、教えるべき内容も多すぎて結局は一斉授業形式にしてしまった」

 

という体験談もあり、本当にそうだよなー。

と、思いました。教科書の情報量が半端じゃないですからねえ。

できたとしても、完全に習得型のアクティブラーニングになりそうですね。

 

また、対話活動により、学びや議論を深めていくことの重要性は企業でも同じ捉えでいるようです。

 

対話活動を成り立たせるために、

チームビルディングによって立場を崩したり、LEGOなどの媒介物を通して対話をしていく。そうして、安心、安全な考えを述べられる関係性をつくって対話をする場面を設定するそうです。

 

うーん、なるほど。大人相手に対話を成り立たせるのって難しそう。自分の考えを率直に述べようとしても、相手と自分の立場などを気にしてなかなか難しそうですよね。

 

そうして、この後は非認知スキルの育成を置いてけぼりにして、指導事項に追われていないか?という問題提起が。

学校教育について、熱い議論がされましたよ。

 

この議論の最中、学校にどれだけ、何に結果を求めるかという話になりました。

「そもそも、自己満足で、俺色全開でやっている人もいますしね。学校という単位で結果を出す発想がないかもしれない」

といった話になった時、

「あ、それ自分じゃん」

と冷や汗を流しつつ。もっともらしい顔をして、ウンウン頷いておりました。

 

そんな時

 

「お金の学校」を開いており、小学校5年生になるお子さんがいるKさんから嬉しいお言葉を聞けました。

 

「俺色でもいい。色んな先生がいても面白いのかなって思いますけどね。」

 

保護者の立場の方がこう言って下さると勇気が湧きます。

 

さて、その後はYさんの

リフレクションについての提案です。

 

もうとにかく、この方の提案は情報量がすごい!

ご自身の実践がどのような理論に基づいているのかを実に分かりやすく説明してくださいました。

 

振り返りの質を上げることは、未来をよりよく生きることにつながる。

 

という熱い信念がひしひしと伝わって来ました。

 

また、デューイによると

振り返りは改善につなげたいという本人の動機があることが大事。


また、

リフレクションにより経験の質が上がる。

さらに、

「学びに向かう力はリフレクションが土台になっている」

 

これも、なるほど〜という感じ。

 

コルブの経験学習モデル

コルトハーヘンの氷山モデルから、リフレクションの段階について

コルトハーヘンの玉ねぎモデルから、自分の在り方と実際の行動の比較について

 

怒涛のインプット…

来てよかった。知らなかったことだらけ。

 

行為の外、中の振り返りという話も刺激的でしたね。

行為の中で判断していることは、今までの膨大な経験の蓄積から直感的に判断している。

この直感的な判断力を向上させるには、行為の外で振り返りをする必要がある。

 

とのこと。

 

その後は

ジョハリの窓のお話し。

そして、

リフレクションには他者との対話が大事。

 

そのときの対話で使われるツールがリフレクションカード。

リフレクションカードストア

これ、実際やってみましたが、面白い!

テーマは

「どんな子どもを育てていきたいか」

 

まずは、発表者が自己紹介でも使用した

コーチングカードを選び、それと関連づけながら自分が育てたい子どもについて語ります。

 

そこからが、リフレクションカードの出番です。

様々な質問項目があり

「そのように考えた理由は」

「最も恐れている失敗は」

 

などなど、鋭い切り口の質問がたくさんカードに書いてあります。

それを選び、目指す子どものビジョンを語った人に質問していきます。

このカードがあるおかげで、聞く側も抵抗なくゲーム感覚で聞けますね。

 

その後、質問タイムが終わったら、質問者がカードを選び、発表者にメッセージを送ります。

 

私は

「失敗を生かし、前向きに活動することができるところ」

が強みだと言っていただきました。

 

いやー、嬉しい。

 

最後に発表者がカードを選び、このリフレクションの気づきや感想を述べます。

 

私は

「これからも様々なことに挑戦していきたい」

 

と言いました。言っちゃった…

言ったからにはガンガン行動あるのみ!

 

また勉強会企画しよう!

みなさん、その際はぜひお越しを!

 

 

(ちなみに、Yさんの提案のところ、理解できているかかなり不安です…訂正があればご指摘お願いします)

問いを大事にする

これも素敵な記事だ。

国谷裕子「ざらつきを残す問いの立て方」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

 

答えのない問い(ざらつきを残す問い)を生み出すには、

たくさんの知識を得て、全体を俯瞰できるようにすること。

 

そもそも知識がなければ、実は答えが出てるのに、答えがない問題だと思い込んでしまいますしね。

幅広い知識がなければ、全体は見渡せないことでしょう。

 

 

情報の整理は特にしませんが、大事なのは最初の資料を読み始めた際に

自分が感じた疑問を、学びを深める過程において常に忘れないようにすること。

 

これ、意外とできるようでできないんですよ。

知識が少なすぎると次から次へと疑問が浮かんできたり、単純に疑問の熱量が足りなくて忘れたり…

例えば、何かしらビジネス書を買う時、

「なんかいい感じ」

と思って、Kindleをポチる訳ですが

 

「このいい感じ」という感覚が生まれるのは、本のタイトルや紹介文を読んだ時に、自分自身が問うていることについての答えになり得ると感じ取るからだと思うんです。

でも、実際本を読み始めてみると、膨大な情報量に圧倒されて、最初の問いを忘れ、積ん読してしまう。

学びを深める際に問いを言語化し、また問いをブラッシュアップしながらインプットしていくことが大切だと、DAFLで学びました。

 

また、思い込みや、決めつけをせず、漠然としていることについて、ツッコミを入れる素朴な問いを立てられるかも大事。

 

会議では素朴な問いかけから、新たな議論が始まっていくことが無数にあったものです。

組織や社会の中でのその人の付加価値とは、問うことによってつくり上げていくもの

なのだと、私は確信するようになりました。

 

問う力――質問をするという行為は、一つの物事に対するさまざまな見方を浮かび上がらせます。

カルロス・ゴーンさんをインタビューした際、彼がこんなエピソードを紹介してくれたことがありました。彼は「今後、会社をどう成長させるか」というテーマでディスカッションをするとき、必ず「成長」という言葉の定義をその場にいる全員に質問するそうです。

なぜなら「成長」と一口に言っても、ある人は「1%」でも業績が伸びれば、それを成長と捉えるかもしれない。一方で別の人は「5%」でなければ、成長とは言えないと考えているかもしれないからです。

同じ問題意識を持っているように見える人たちでも、議論の前提となる基本的な言葉の定義すら共有していない場合が多々ある。そんな中で、「成長とは何か」という一つの質問が、みんなが「当たり前」と捉えていた物事の本質を浮かび上がらせ、後の議論を活発化させるというわけです。

 

教育現場では、本当にこれが欠けていると思います。

学校がより良くなるってどんな状態なのか分からないまま、学校経営計画について話し合い出しますからね。

細々とした話に終始してしまう。つまらないことこの上ない。

 

そんなんどうだっていいじゃん!

好みの問題じゃん!

 

何度会議中に叫びたくなったことか。

 

「ここが上手くいかなかったから、こうしよう。」

と、学校経営計画というマニュアルの修正ばかり行われ、結局歩みたい方向性の確認がないまま、なんとなくの雰囲気で流れていく。

実に虚しい。

 

 

そして、最後に刺さったこの言葉。

 

「いま」という時代は、私たちを取り巻く情報のあり方が、昔と比べて一変しています。SNSに情報が洪水のように流れ、個々人は立ち止まって考える余裕がなかなか取れない。気が付けば、自分と同じサークル、似た考えを持つ人々から発せられる情報に取り囲まれ、全く違う考え方に触れることが難しい環境に多くの人が追いやられています。

 

これ深いですね。

あるコミュニティに継続して属するとやはりその集団の考え方に同調していってしまう。今までもっていた問いをなくしてしまうこともありそうです。

 

可能な限り、多種多様なコミュニティをもつこと。

違う問いが飛び出すコミュニティに所属することは学びの価値がありそうです。

教師のスタンスはエバンジェリストであれ

この記事も熱い。

そもそも、エバンジェリストというものを知りませんでした。

 

「プレゼン」はもう時代遅れ、これからの時代に合った「伝え方」とは | 未来を変えるプロジェクト by DODA

 

エバンジェリストとは…

エバンジェリスト」とは、IT業界で注目されている新しい職種、あるいはその役割を担う専門人材のことで、高度化・複雑化が進むIT環境のトレンドや最新テクノロジーをユーザーに向けて分かりやすく解説し、啓蒙を図るのが主な任務です。エバンジェリスト(evangelist)の原義は、キリスト教の「伝道者」の意。ITベンダーを中心に、自社の提供する技術の価値を広く、正しく“伝道”するための専門職として、ポストを新設する企業が増えています。具体的には、ユーザー企業やパートナー企業への個別の啓蒙活動のほか、システム開発者などITエンジニアを対象に開催される社内外のイベントで講師を務め、製品・サービスのプレゼンテーションを行います。

らしいです。

 

これを読むと、超専門職って感じがしますね。

エバンジェリスト→顧客

という一方通行の情報伝達という印象を受けますが、そうではなさそう。

 

なるほど。確かに、かつては「伝える」ことに主軸を置いていました。けれども今はお客さまのバックグラウンドもさまざまですから、求められることも違います。

われわれエバンジェリストのチームがやっていることを一言で言えば、「お客さまとともに未来を描く」こと。アイデア出しから開発を伴うような作業まで含めて、お客さまの思い描く未来を具現化する手助けをします。

 

なんか、教育と重なるところが多くないですか?

我々は子どもが思い描く未来を具現化する手助けをするわけですよね。

 

しかし、実際自分が何をしたいのか分からない。

そういう子どもがなかなか多い。いや、大人だってそうですかね。

 

今はエバンジェリストの顧客自身もニーズが分からない状態でいるそうです。様々な制約が外れ、やろうと思えばいくらでも自由にできる環境にあらからこそ、分からなくなる。

これも今の子どもたちの現状と重なる気がします。

 

そんな時に

対話、というとなんとなく向かい合う印象がありますが、究極にはマイクロソフトとかお客さまとか関係なく、白紙の前に横に並んで座って、「ここにこんな山があって、谷があって、ここに目的地があって・・・」と一緒に指差し確認しながら、探し当てるような感じです。

変に自分を大きく見せるのではなく、私は一人の人間で、会社員で、分からないことだってある、ということを開示します。けれども、「あなたの力になりたい」という熱意が変わらずそこにあります。

 

うーむ、この姿勢。

やはり教師と同じだ。

 

そして、社内のチームメンバーとの連携についても言及しています。

 

エバンジェリストに限らないかもしれませんが、職人気質で「自分は専門性を持っている」と自負する人が以前は多かったと思います。けれども今、大前提として必要なのは、「お手本はない」「自分の持っている知識だけでは足りない」という意識を持つこと。

今までにない新たなことを始めるには、自分一人ではできない、社内外のパートナーと協力し、ゴールを明確にした上で、それぞれが意志を持って実行しなくてはならない、ということを受け入れなければなりません。そうすれば、仕事の進め方も変わってくるはずです。

お客さまからの技術的な問い合わせメール一つ取っても、それまでなら完璧な回答を伝えるために自分一人で熟慮して、1週間後に返信していたかもしれないけど、それよりは知識を持った人にすぐ相談し、お客さまの参考になるようなURLを2、3個つけて、すぐに返答するべき。

 

これも、チーム学校が叫ばれる教育現場とすごく重なる話じゃないですか?

 

教師一人一人が個々のキャラクターやスキルを最大限に発揮できる職場環境にすれば、必ず子どもにとってプラスになる。

そして、それは働く教師にとっても自信とやりがいを与え、さらに子どもにプラス返っていく。

そんな職場にしていきたいし、今の職場ならそれが出来る気がする。

 

 

ほんと、1人でできることなんてたかが知れてるんですよね。

どんなに学級王国を作れても、職員間の関わりが希薄で、職員同士が心のつながりを感じられなければ孤独しかありません。

そうすると、必ずどこかに歪みが生じます。満たされない承認欲求を子どもや職員にぶつけ、自分も周囲も追い込んでしまうことになる。

教師にとっても子どもにとっても苦しい学校の出来上がりです。

 

「お手本はない。」

「自分がもっている知識だけでは足りない。」

だからこそ頼るし頼られるようになる。

 

全てにおいて抜かりない、完璧な人を目指そうとするなんて、無茶ですよ。

多くの人に必要とされたいと思うのは自然なこと。でもだからってあらゆる面において完璧である必要はないし、第1そんなことは不可能ですよね。

だから、自分が誇れるコミュニティをもつ必要がある。自分の弱点を補える、強みをさらに強化できる人とつながりをもつことで、自分自身が完璧でなくとも、周りの人に頼ることで結果として、誰かにとってベストな結果をもたらせるようになる。

 

 

私は1ヶ月後実習生を受け持ちます。

自分が何か意見を求められたら、持論(だと思い込んでいるのと)を語ることばかり考えず、持論の元となる考え方なんかを示すことを考えていきたいものです。

行動あるのみ!!だけどやっぱりさ・・・

昨日読んだイケダハヤト氏のブログ。

「行動力は高いけど、理解力が乏しい人」は伸びない。 : まだ労働で消耗してるの?

 

これかなり刺さりました。

自分はかなり行動力バカの傾向があるなあ。と・・・。

 

自分の市場価値を上げたい!

                 ↓

もっと行動して経験値をためなきゃ!

 

この発想は間違いではないと思うのです。

 

やっぱり、世の中で活躍している人たちは圧倒的に活動量が多いですからねえ。

 

  先日石川晋先生のメルマガで、Teacher's Lab.の理事をされている館野峻さんがご自身の軌跡について書かれていました。

  すごい!!の一言。行動力が半端じゃない。

数々の勉強会に参加し、勤務校の家庭科室でお料理教室イベントを地域に開く、などなど、ここで語りつくせないほど、様々なことに取り組んでおられます。

 

本当にいい刺激になります。  

そして、行動に一貫性があるんですよね。ふわふわしていない。

自分がやりたいことがはっきりしていて、PDCAを効果的に回している感じ。

 

おそらく、行動力だけの人って、そもそも自分が何をしたいのかふわふわしていて、その上PDCAもうまく回せないんだろうな。

つまり、内省して自分と向き合って、自分を理解する力と、最善の一手をうつための現状の理解力(自分を取り巻く世界に対する理解力)が圧倒的に足りないんだろうな。

 

以下、イケダハヤト氏のブログから・・・

 

「行動力しかない人」は、こっちの事情とか思惑を無視しがちなんですよね。

一斉送信で世界一周クラウドファンディングの支援をお願いしてきたり……。

知らんがな!って感じですよね。そういう人と付き合うと疲れるんで距離を置くようにしてます。

なので、ぼくは自分の意図をよく汲んでくれる人を選ぶようにしています。

相手に対するリスペクトがない人は、そのうち見放されますね……。


そもそも、行動力しかない人はズレた行動を続けてしまうので、なんというか伸びないんですよね。

いつまでも世界一周を続けているバックパッカー的な。そういう生き方もいいけれど、ぼくは最上志向なんでつまらないと思ってしまうのです。


理解力があれば、より合理的な行動を取ることができます。

望ましい道を見定め、修正する力があるということです。

「行動力バカ」には、それができません。一本槍に望みのないこと、つまらないことを続けるのは、時間とエネルギーの無駄でございます。


と、辛口になりましたが、理解力を伸ばすのは難しくありません。

安心してください。「行動力バカ」はすぐに治ります。

自分の思いや世界に対する理解を、「言語化」する訓練をしましょう。

毎日ブログを書きましょう。人に自分の思いを伝え、反応を得ましょう。

定量的に、自分の立ち位置を理解しましょう。世界を観察し、自分がなすべきことを言語化し、行動し、ことばをブラッシュアップしていきましょう。


いやほんと、毎日ブログ書くだけで行動力バカは直りますよ。

あ、数字の分析は必須ですけどね。PDCAを回して、10万PVを目指すくらいでやるのがちょうどいいんじゃないかな。

「行動力しかない」という自覚がある方は、ぜひ「ブログを使った言語化トレーニング」をお試しあれ。

 

 やはり、ブログっていいんですよ。

言語化していくって大事です。

 

今日あった出来事と、自分の感情を言語化していくとモヤモヤが晴れます。

自分のことが少しずつ分かってきます。

 

そして、自分が心を動かされたときの気持ちを書き溜めていけば、自分のやりたいことも見えてくることでしょう。

 

しかし10万PVか〜。先は長い。

反響が・・・ない。

昨日のブログにもあげましたが

 

今、校内のイントラネットのホームページを担当しています。

それを良いことに、かなり、自由にコラム(のようなもの)を殴り書きしております。

 

今日あげたコラムは、以下の通り。長いので、本文、画像をコピペします。

 

2017.9.12 火曜日

 おはようございます。
 成績期間の荒波にもまれ、評価に向き合わざるをえない状況に追い込まれてしまいました。わくわくすっぞ。
 しかし、それによって新たな知見を得ることができました。こうして逆境をばねに、ピンチをチャンスに変えて成長する。そんな自分が大好きです。

 

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 はい。失礼しました。
 いや~、でも真面目な話。
 成績評価、考えれば考えるほど、分からなくなってきますね。

 私が最近、特に疑問に思うのは、
 「思考力」の評価について。
 もちろん、各教科、単元によって、評価規準はありますが・・・基準を定めるときにもやっとくる。
 
 様々なところで子どもの思考力をもっと伸ばしていかなないとと言われています。従来の詰め込み型の教育では、思考力が伸びない・・・など。

 そういう主張をする方にぜひ、問いたい。
 「そもそも、思考力ってどんな力でしょうか?」
 「え、思考力って考える力のことでしょ?」

 それでは、答えになりません。
 考えるというプロセスの何を
 どうやって評価するの?という話です。
 
 例えば、授業の王道展開である

 発散思考(ブレスト等)
 収束思考(議論からのまとめ)
 メタ認知思考(振り返り)

といった
問題解決の各思考プロセスにおいて、
論理的な思考力、創造的な思考力
批判的な思考力(クリティカルシンキング)が発揮されている。

という捉えだけでも
今一つしっくりきません。
思考力という
実態をつかみきれていない感覚。

 知識・理解という評価だって、思考するからこそ知識を獲得することができて、理解することができるわけだし・・・。そもそも別枠で評価していいの?なんて疑問もわいてきます。

 そんなもやもやを
 B.Sブルームさんが1956年に開発した「教育目標分類学」というものが、少し解決してくれたように感じたので、ご紹介します。

1.知識=情報や概念を想起する
2.理解=伝えられたことがわかり、素材や観念を利用できる。
3.応用=情報や概念を特定の具体的な状況で使う。
4.分析=情報や概念を特定の具体的な状況で使う。
5.総合=様々な概念を組み合わせて新しいものを形作る。
6.評価=素材や方法の価値を目的に照らして判断する。

PISAでもこれをベースにして教育到達目標を設定しているそうな。

2001年に以下の改訂版が開発され

 

f:id:kengobonbei:20170912123402j:image

 

さらに現在、首都圏模試センターの「思考コード」(以下参照)として利用されている。

 

 f:id:kengobonbei:20170912123424j:image


麻布や武蔵のような学校では
当然C3の議論までしなければならない
という文化ができあがっているそうな・・・
すごい。
なんだか、教師の方が圧倒されそうですね。
 でも、この思考コードを子どもたちと
共有すれば、対話的で深い学びができそうです。

 そうした授業の評価はルーブリック評価でやらざるを得なくなるでしょう。
みんながアクティブに動いているものを
一律ペーパーテストのみで評価できるわけがない。

 子どもたちと評価基準を共有し、カスタマイズしながらゴールを共創していく。
 さらに、子ども達自身が自己と他者を相互評価することで、初めて教師の評価の妥当性は担保されることになるのでしょう。

 早いとこそっちにシフトしていきたいものです。
 そうすれば、子どもたち自身が自分の到達度を理解した上で、主体的に学びに取り組んでいくはず・・・。
 そして、日々の授業が、子どもにとっても教師にとっても無理のない。
楽しく、わくわくするものになりそうです。

何より、子どもに
胸を張って成績を伝えられるように
なりそうです。

 

これ、もともと今朝のふたせんさんと、神崎メソッドの神崎さんとのfacebook上のやりとりの中で紹介されていた記事

 

 子供の学力の新観点「思考コード」を知っていますか?|コラム|首都圏模試センター

 

を読み、どうしてもアウトプットしたいと思い、書いたものでした。

 

でも、あまりの反応のなさに不服で、つい書いてしまいました。

ただ、こうして読み返すと、こりゃ、反響があるわけないわ。