小学校の先生を120%楽しむ毎日

超人見知り。内向型人間です。でも先生やってます。セミナー開催もしています。

自制できない子どもの言い分

被害者意識。

「自分はこんなに〇〇がしたいのに、どうして我慢しなきゃいけないの?自分ってかわいそう…」

 

こんな気持ちでいっぱいなのではないでしょうか?

 

例えば、子ども同士のケンカで、1人がもう1人の頭を叩いた時、どうして叩いたの?と聞いたら、やった子は涙を浮かべ、自分が叩いた相手からどれだけ嫌な思いをさせられたのか、熱く語ってくれた、なんていう経験はございませんか?

 

大人も同じ。

犯罪者の言い分など、反吐がでるほど自分本位で、自分が被害者の家族として聞いていたら、激昂しているであろうと思う。

 

付属池田小事件の宅間守などは、その最たるものだろう。

宅間守の生い立ち【附属池田小事件】 - NAVER まとめ

 

法廷で遺族がいる前で、以下の発言をしているようだ。

 

世の中は公平やない!。わしは世の中の不条理をあのくそガキにわからせてやったんや。ワシみたいにアホで将来 に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺 される不条理さを世の中に分からせたかったんや、世の中勉強だけちゃうぞ!、とあのくそガキに一撃を与えたんや、死ぬ前に世の中の厳しさが分かってよかったな、感謝せいよ。ワシはいままで散々不愉快な思いをさせられて生きてきた、でも、今日は、ほんま ワシは気分がええわ。

 

なんだか、ありえないほど遺族の神経を逆なでにしていて、作り話のように思えてしまう。というか作り話であってほしい。

ひどすぎる。

 

あまりに歪んだ優越性の追求。

 

自制心はどこで、どのように育つのだろう。

 

宅間守の生い立ちは、恵まれたものではなかったようだ。

それでも同じような境遇でも懸命に生きている人はきっとたくさんいるはず。

攻撃に転じやすい気質の持ち主と片付けても納得ができない。

 

クラスの子どもが誰かを傷つけたとき、十分言い分を聞いた後、

「次も同じように傷つけたいの?」

と聞くと、

「いや、そうじゃなくて・・・◯◯をやめてほしいだけで・・・」

というふうに答える。

 

 

本来、人は誰かを傷つけたら、それだけすり減る。人を傷つけたことをなかなか自己受容できずに、苦しむはずだ。要するに、人を傷つけることは、人の喜びに結びつかない。

しかし、もしかしたら宅間守にとっては、人を傷つけることで、自分の存在意義を確認し、安全・安心を獲得していたのかもしれない。

いずれにしても、宅間守は、自己受容もできず、他者を信頼できず、他者貢献など考えもしてこなかったのではないだろうか。

 

人は、自分がしたことで、だれかに喜んでもらうことにより、幸せを感じる生き物だと信じたい。

「ソクラテスの弁明」を、哲学に興味ゼロの人にオススメしたい3つの理由

ソクラテスの弁明」を読みました

 

 

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

 

 

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30日間無料お試ししてみては、いかがでしょう?

 

さて、それではタイトルの通り…

 

哲学初心者におオススメしたい理由を3つ挙げていきます。

 

1.読みやすい

「嫌われる勇気」を読破した方なら読めます。対話形式というか、ほぼソクラテスのスピーチを永遠と聞いている感覚です。

 

2.解説でソクラテスが現実感を帯びてくる

当時の社会、思想についてもよく分かる。歴史好きにもオススメ。

この解説を読んで、「そんな状況でソクラテスよく頑張った!」と心底思える。何よりソクラテスが実在し、そしてやはりソクラテスに心酔していた若者は多かっただろうなぁ…と思わせられる。おとぎ話ではなく、リアルな歴史の一場面として、捉えられる。

 

3.ソクラテスというキャラ

 

以下の通り

先ほど弁明をしていた時には 、危険のために自由人らしからぬことを行うなど 、何一つあってはならないと思っていましたが 、今もまた 、そのように弁明を行ったことを後悔してはおらず 、そんなことをして生きながらえるよりも 、むしろこのように弁明して死に就くことを断然選びます 。(中略)

死ぬということなら 、武具を捨てて 、追いかけてくる敵に命乞いをすれば逃れられるでしょう 。(中略)

つまり死から逃れることは 、皆さん 、難しいことではありません 。ですが 、劣悪さを免れることはずっと難しいのです 。

 

ね、かっこいいでしょ。

 

読む価値あります。

内向型を強みにする

やはりこの本面白い。

 

内向型を強みにする

内向型を強みにする

 

 

 

久しぶりに読み返したら、 いかに飛ばし読みしていたかがよく分かった。

 

面白いと感じた点は以下の通り。

 

世界の75%は外向型でできている

この事実を知るだけでも内向型の人の救いとなるだろう。

(内向型とは、)

 

この75%という数字も実にリアルで納得がいく。32人のクラスなら8人は内向型だ。

 

さらに続きます。

わたしたちの文化においては 、外向的な特質が尊ばれ 、報いられる 。アメリカは自らの考えを声にする市民を重視し 、粗削りな個人主義のもとに成り立った 。わたしたちは行動 、スピ ード 、競争 、活力を重んじている 。

 

確かに。学校でもそうだ。

「元気よく挨拶しよう!」

「なんでも挑戦してみよう!」

「何事にも全力で!」

「今年は紅組勝つぞー!!」

「みんなで団結しよう!!」 

 

こんなノリですね。

内向型にしてみれば、

「勘弁してくれ」と言いたいとこでしょう。

 

「1人静かに物思いにふけろう!!」

こんなスローガンを掲げる学級や学年、学校はそうそうないのではないだろうか。

 

でも、内向型にはそういう時間が必要だ。

なぜなら、外向型の人間は活動すればするほど、快感のヒットが起こるのに対し、内向型の人間は、1人で物思いにふけることで、快感のヒットを得ることができるからだ。

 

その理由として

外向型と内向型では、脳が快感を得る方法に違いがある

ことが挙げられる。

 

 とういうことかというと…

 

1.外向性と内向性は、気質を形成する基本的特性の1つである、と全ての人格理論家が挙げている。

 2.気質は、遺伝的要因に基づくため 、通常 、 (一定の変化は起こるが )生涯 、その人についてまわる 

3.気質を左右するであろう、遺伝子の1つにD4DRがある。これは、新奇性追求遺伝子とも呼ばれ、この遺伝子が長いと、興奮のレベルを調節する神経伝達物質であるドーパミンに対する感受性が高くなくなるため、ドキドキを求めようと様々な経験をしようとする。つまり、活動的になればなるほどドーパミンは増え、快感のヒットが放たれるようになる。

一方、D4DR遺伝子が短いと、ドーパミンの感受性が高くなるため、静かな活動でも充分ドーパミンを得られるので、ドキドキを求めない。むしろ、スリルを求めたり、リスクを追ったりすることに楽しさよりも不安を感じる。

 

こんな風に、設計の段階でこうも違うのか、と分かると、内向型の自分を受け入れられるようになる。

 

やはり、知識は人を救う。

職場の後輩、同期、先輩に対して貫きたい、たった1つのスタンス

気がついたら、職場に後輩が増えていた。

 

大げさしゃなく、そんな感覚です。

 

今まで先輩たちに囲まれて、ずっと下っ端で、がむしゃらに仕事をこなしているうちに、「あれ、年下の子が職場に増えてきたな。」と気づき、仲良くなれるかな?とアプローチをかけるも、気を遣われる。

 

そんなぬるい感覚で後輩と絡み、ほろ苦い経験をして、同期と同じような感覚で、友達感覚で後輩と関わるのではなくて、良き先輩として接していかなければならんのかなぁ…と思いはじめてきた。

 

さらに、今年は教育実習生の担当になり、「あ、もう指導する立場なのね」と改めて自分のポジションを再認識させられた。

 

さて、ここまで書いてみて、自分自身が、先輩、同期、後輩とかなり明確に線引きしていることに気がつく。

 

実際、

 

「後輩には優しく。先輩には、敬意を払い、同僚には気さくに」

 

こんな風に無意識に態度を変えている人がほとんどではないだろうか。

 

しかし、このスタンスは正解のようでいて、2つの弊害があると思う。

 

1つは、後輩と先輩には身構える必要が出てくることだ。

「あー、同期といると楽〜。」

となるのは、よろしくない。大抵、そういうコミュニティでずぶずぶの関係性を固く結んでしまうと、同期会なんかで、職場の愚痴ばかり言い合うことになる。これほど、虚しいことはない。なぜなら30過ぎて、職場に不満があるなら、みんなを巻き込んで改善していける立場と力がついていてしかるべき、フェーズにいるはずだからだ。自分たちの力不足に気づきもせず、他者を糾弾する姿ほど見ていて不愉快なものはない。

 

2つ目の弊害として、

「後輩に優しく、先輩に敬意を払うスタンス」

は、行き過ぎると、

「後輩に敬意を払わず、先輩には厳しいスタンス」

になっていくと思う。

 

後輩には優しくしなきゃ。→面倒を見てやってる→感謝される→かわいいやつ→俺がいなきゃダメ→しょうがないやつだなぁ。とまた可愛がる。

 

これは、一見いい先輩のようだが、ここには後輩に対する敬意がないし、後輩を独り立ちさせない関わり方に陥りがちだ。自分に依存させる。悪く言えば、自分の掌の上で後輩を動かすことに快感を覚えて行くだろう。

 

また、先輩に敬意を払うスタンスを強化しすぎると

 

先輩には、敬意を払わなきゃ→気を遣う→疲れる→先輩の欠点を見つける→なんだ、この人ダメじゃん→嫌いになる→でも敬意を払わなきゃ…

 

人は一緒にいて心地よい人と一緒にいようとする。常に気を遣う相手とは距離を置きたくなる。そこで、その目的を達成するために、無意識に先輩のダメなところを探し出す。先輩に対して辛口になる。

 

「尊敬してた先輩に失望させられたから、今、その先輩とは連絡をとっていない」

 

なんていうケースは実は

 

「先輩といると疲れるから、距離を置きたくなった。嫌なところを探してみたら、見つかったので、距離を置く決心ができた。」

 

というアドラーの目的論で考えた方が、実態を正確に捉えているのではないだろうか。

 

だから、後輩には優しく、同僚には気さくに、先輩には、敬意を払うのではなくて、誰に対しても、優しく、気さくに、敬意を払っていけば良い。それがフラットな人付き合いの仕方と言えるだろう。先輩にも後輩にもタメ口を使う間柄がフラットな関係性ではないだろう。

 

どうしたら、誰に対しても、優しく、気さくに、敬意を払えるか、というと、どんなことを意識していくかにかかっている。それは、ありきたりだが、「謙虚に学ぶ」ということだろう。

 

後輩からも、学ぼうとすれば、自然と敬意を払うことになるだろう。また、学ぼうとするには、相手が心を開いてくれないといけない。そうしないとそもそも相手の体験したエピソードや本人のもつエッセンスが見えてこない。こちらから気さくに接する必要もある。そうして、関係を作れれば、先輩の失敗をみても、それを非難することなく、そこから学ぼうとすれば、その先輩に対して優しくなれるはずだ。(そもそも、完璧な人間はいないのだ)

無論、同期からも、学ぼうとすれば良い緊張感を保って高め合う関係性を維持できる。いや、むしろ同期こそ、学ぶ対象として最もロックオンしておくべき相手だと思う。キャリアも、人生の経験値もほぼ同等の相手だ。競い合うには格好の相手だ。慰めあっている場合ではない。

 

だから、誰に対しても謙虚に学ぶ姿勢を忘れずに、優しく、気さくに、敬意を払って接していきたい。

 

なんだか、教員採用試験の面接の答えのようだが、今日、職場の後輩と話していてそう感じた。

 

後輩から学ぶべきところは山ほどある。

美容師さんに教わったこと

心地よいコミュニケーションに勝るサービスはない。今日、美容院に行き、そう確信した。

 

サービスは人に対して行われる。

そのサービスの良し悪しは、サービスを受けた側が主観的に判断する。

サービスを受けた人間が、心地よく思うことでサービスはサービスとして成り立つ。

 

例えば、私は小学校時代、散髪は実家近くの商店街の床屋に行っていた。行くと、母親がこんな感じで髪切ってください。とオーダーし、その間に買い物をするというパターンが決まっていた。

3年生の時、私の誕生日のときに撮った写真を母に持たされ、「とりあえず、こんな風に切ってください。とお願いしてごらん。」と言われ、1人で散髪しに行った。

 

床屋の人に言うと、大層困った様子で…「これじゃ、横が見れないからなあ」と言われ、迷惑そうに散髪が始まり、私は子どもながらに「申し訳ないな」と思い、せめてカットしやすいように、なるべく動かないように終始緊張し、姿勢を正して散髪が終わるのを待った。髪をなで付けるクシが地肌に当たって、今日はやけに痛いなぁ、と思ったことを覚えている。

 

ようやく終わり、去り際に。

「これじゃあ分からないから、もし写真でオーダーするなら、横からと、後ろからも撮った写真持ってくるようにして」

と言われた。

 

こうして文字にすると、もっともなことだし、なんてことない、店側の切実な要求だと思えるのだが、言われた私は大層ショックを受けて哀しい気持ちで店を出た。

なぜなら、相手側の迷惑そうな口ぶりと表情を見たからである。「あれだけ、気を遣って姿勢を正して、なるべく動かないようにしてたのに、それでも許してくれないんだ。」と思った。

こんな経験をしたから、私はその床屋が大嫌いになったし、今でも散髪そのものが好きではない。

しかし、床屋の後、家に帰ると、母親は「お、さっぱりしたじゃん。いいね、その髪型。」とあっけらかんと言っていた。

 

この一例では、確かに、髪を切るというサービスは受けているし、結果として要望通りの髪型になっている。

しかし、これはサービスを提供してもらったとは思えない。

私は、散髪中ずっと緊張し、店を出る前に悲しい思いをさせられたからだ。「別にこんな思いをしてまで、散髪したくない。なんだったら、自分で切る。」そんな風に思った。

 

しかし、今日の美容院を出るときの気持ちはこのときの気持ちと全くもって正反対だった。

温かいきもち。充実した気持ち。疲れもとれ、やる気にみなぎった状態。美容師さんへの心からの感謝の気持ち。

 

本当に新鮮な体験だった。

散髪ってこんなにいいものだったの?と思った。

 

そう思えた大きな要因が、美容師さんとのコミュニケーションである。

 

私は、基本的に美容師さんとおしゃべりせずに寝るか、雑誌をめちゃくちゃ集中して読むかのどちらかである。

 

しかし、今日は待たされることもなく、美容師さんが満面の笑みで迎えてくれ、気さくに、ごく自然に話しかけてきた。

すると、なぜか私も特に身構えることもなく話ができてしまった。

たまに、おしゃべり好きな美容師さんが、「さあ、これから楽しませますよ☆」と言わんばかりに話しかけてくる時がある。

そういう人は苦手だ。緊張する…というかハラハラする。だいたいそういう人は持ちネタを持ってて、「滑らない話」を話し始める。その時、対して面白くなくてもなんとなく笑わざるを得ない空気になっており、愛想笑いをする羽目になる。

それとは、全く違う。

 

本当に自然と。

 

「なんか、今日は店が静かだ…」と美容師さんが呟いた。

私も、「夏休みは空いてるんですか?」と特になにも考えず反射的に返すことができた。

それからポツポツ話していくうちに、「なんかもういいか。」と思って小学校の教師であることまでカミングアウトしてしまった。

 

相手に身構えさせずに、自然体で接する人って本当にすごいなあと思う。

 

相手にもいい意味で気を遣わせず、無条件で信頼される。その結果として、相手からガンガン情報を引っ張り出すことができる。もちろんこちらとしては、情報を引っ張り出されている感覚は全くなく、単にこちら側がどんどん発信したくなるのだ。

 

なんか、この辺のメカニズムを解明すれば、授業で手が挙がらない…

といった、教師の悩みを解決することができそうだ。

 

とにかく、そんな感じで

美容師さんと話しているうちに、あっという間に散髪も終わり、軽くマッサージ。

 

そのマッサージも超丁寧。軽く、どころではない。

大事にされてる感満載。何より気持ちいい。

 

極楽、極楽…といった気分で終了。

 

心底名残惜しかったし、もっと話したかった。

 

 

今日、美容師さんに教わったこと。

 

それは、心地よいコミュニケーションの重要性。その鍵は自然体。相手に対し身構えないこと。

時間潰し

昨日、一昨日と夏風邪を引いてダウンしていた。

と言っても、食欲もあるし、微熱が続いて怠いなあといった程度。

中途半端な体調だったので、本でも読もうとするものの、小難しい内容は頭に入ってこない。

諦めて、無料で読める漫画か何かないかと、ネットサーフィンしていると…

 

あるわあるわ。

なかには、全巻無料みたいなのもあり、なんだかお金を払って漫画を買うのがバカらしくなるほどたくさんあった。

私のここ二日間は、寝るまで漫画を読み、眠りから覚めて、喉が渇いたら水分を補給し、腹が減ったら食べて、また漫画を読み眠くなったら寝る。という、いわゆる「引きこもり生活」をしていた。

 

そんな生活をして、思うことは様々あったが、

 

結論から言うと…

 

Wi-Fiスマホさえあれば、暇つぶしはどうとでもなる。

 

ということだ。

ものすごく今更なことを言っているようだが、本当にこれを実感した。

 

漫画に飽きれば、動画を見ればいいし、寂しくなったら、facebooktwitter、知り合いのblogを見ればいい。そうして、様々な情報に触れる中で、分からないことが出てくれば、ネットで調べることもできるので、知識や、見識も広がり、充実感も得られる。

 

こんな風に、1日の全てをスマホをいじるだけで、そこそこ満足して終わることができてしまったことに驚いたのだ。

 

昨年は以下の通り、引きこもりが54万人…

 

学校や仕事に行かず、半年以上自宅に閉じこもっている15~39歳の「引きこもり」の人が、全国で推計54万1千人いるとの調査結果を発表した。初めて調査した前回の2010年から約15万人減ったものの、なお50万人を超える。引きこもりの長期化・高年齢化の傾向も判明。40歳以上を含むより詳細な実態把握の必要性を指摘する専門家もいる。(日本経済新聞日本経済新聞

 

なんか、ネットの中にこれだけ楽しいものがたくさんあって、しかも、その中で学ぶことができるのであれば、引きこもるのってむしろ当たり前じゃん。って思ってしまう。

むしろ54万人って少なくないか?そんな風にさえ思う。私は内向型人間である。飲み会は好きだが、非常に疲れてしまう。旅行も好きだが、家が恋しくなる。外の刺激からエネルギーを充填するよりも消耗してしまうのだ。

だから、一日1人で家にいて、外に出たくない日もある。それゆえ、引きこもりたくなる気持ちもなんとなく、わかる気でいる。

 

まあ、それは、さておき。

とにかく、知的好奇心を満たすためだったら、スマホがあればそこそこ満たされる。

知識を授けるという、学校の役割は、今やスマホが補完できるということを実感した。そして、知的好奇心が高い子ほどスマホを使いこなし、自分が発する情報に次から次へとアクセスし、勝手に思考を進化していくことだろう。

 

これからは、今以上に在宅ワーカーが増えて行く。会社に行くのはナンセンス。会社がオフィスを持つこと自体が非効率。会議はテレビ電話で済むし、資料の共有はクラウドで済む。

 

となると、そもそも、引きこもりは問題なのだろうか?

 

もちろん、私がしたような、極めて非生産的な引きこもり方をしては、一週間、1ヶ月、半年と長い期間になればなるほど、鬱屈としたものがたまってくる気もするし、社会的な損失もあるのかもしれない。

 

しかし、だれでももっと、ネット上で生産的な活動ができるようになれば、そもそも引きこもりを問題視する必要もなくなっていくのではないか。

 

まあ、それでもやはり。

健全に引きこもれば、

やはり、リアルな人との絡みが恋しくなるだろう。

 

…。

 

結局のところ、学校の強みはそこしかないのかな。同じ地域の同世代が集まるコミュニティ。(まあ、それも異常な空間ではあるが…)

そこで、最大限、自己実現できるように支援すること。

それが、人の労働力がいらなくなる社会までの過渡期に、教師に求められることなのだろうか。

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